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チキン戦争、味で勝ち抜き上場 和魂洋才の八分目経営(16) 日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

2017/4/21

 日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。競合が増えた1980年代を振り返ります。

 ケンタッキー・フライド・チキンの成功で様々な企業が参入してきた。

 よっぽど魅力的な市場に見えたのでしょうね。1980年代前半のころ、セゾングループの首脳が私の所にやってきました。当時、セゾンは米国で人気のフライドチキンチェーン「チャーチズ」の日本展開を始めた時期です。「悪いことはしないから、手を打ちませんか」と。話を聞くと「手を打つ」というのは日本を二分割、相互不可侵条約を結ぶということでした。セゾンが東日本、我々が西日本だった記憶があります。

 この頃、日本KFCが意図的に業績を落としていたのを勘違いして足元を見てきたのです。この時ばかりは頭に血が上りました。幹部社員にチャーチズの出店場所や出店予定の地域を調べてもらい、あえて隣接地に直営店を出しました。隣や真向かいへの出店もあります。

 勝算はあった。

 味では絶対に負けない自信がありました。我々はカーネル・サンダース氏の味にこだわっていました。チャーチズのチキンは一ピースが私たちよりも一回り大きく、ボリューム感はありましたが、日本の消費者はチャーチズのボリューム感よりも我々の味へのこだわりを支持してくれたのです。

 世間ではチキン戦争と呼ばれていましたね。ダイエーはオーストラリア企業と提携してローストチキンの店を、三井物産は米社と組んでメキシコ風の網焼きチキンの店の展開を始めました。いずれも長続きせず、事業を縮小していきます。三井物産には知人を介して「鶏肉を売りたいのでしたら、日本KFCも買いますから」と伝え、今では大切な取引先の1つです。

 業績も堅調で上場が視野に入る。

上場を伝える社内報から(左の写真、手前が相沢徹会長、中央が本人)

 チキン戦争で負けずにすんだ直営店をフランチャイズチェーンとして加盟店に譲渡しました。償却負担も少なくなったお店ですので、喜ばれました。しかもお店は競争を勝ち抜いた優良店です。本部である日本KFCにとってはロイヤルティー収入が増えるという好循環が生まれます。バブル景気も追い風でした。70年の1号店から20年が近くなり、上場の準備に入りました。

 東証第2部の上場にこぎ着けたのは90年8月。株式市場は下落基調でしたが、その後にバブル崩壊が来ることを見通していた人はほとんどいませんでした。まさに上場に踏み切れたギリギリのタイミングです。

 大株主の三菱商事、米ペプシコにも恩返しができました。新株を発行したことで日本KFCにも余裕資金が生まれ、経営の自由度が増して、いろいろと青写真を描くこともできました。

 ただ、自分としてはそんな気持ちはありませんでしたが、長く経営をしていると「日本KFCは大河原商店」と陰で言われるようになっていたようです。気が重くなりました。

[日経産業新聞2016年4月6日付]

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