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日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。米本社と対等に渡り合うビジネススキルを身に付けるため、米国に留学します。

 海外留学の準備中に妻となる愛子さんと出会う。

1979年ころだと記憶しています。私をケンタッキー・フライド・チキンの世界に導いてくれたロイ・ウエストンさんが主催するパーティーで英語を流ちょうに話す女性を見かけました。それが愛子です。父親は米軍関係の仕事をしていてペプシの日本法人設立にも深く関わった人物です。フードビジネスも手掛けていて、愛子と私は自然に意気投合、上智大学にある海外留学のためのコースに一緒に通うようになっていました。

ハーバードで米国流の経営や思考の方法を学ぶ

ハーバードで米国流の経営や思考の方法を学ぶ

私の留学先はハーバード・ビジネス・スクール、日本KFCの産みの親の1人、相沢徹さんもここのOBです。愛子は通訳の仕事があったので単身で渡米です。時間を作ってボストンに来てくれたのですが勉強が忙しくなかなか相手をすることができず申し訳なく思いました。

ハーバードでは米国流の経営や思考の方法を学びました。その後の人生の財産になったのは間違いありません。ただ傾倒するのではなく、米国人と対等に議論できるスキルを身につけることに力を入れました。

 帰国後、84年に社長就任。40歳だった。

実はそのころまで私の名前は大河原伸介でした。本名は今の「毅」なのですが、大学卒業のころに占師に相談すると「あなたは名前負けしている」と言われたのです。確かに幼い頃からよくないことが多かった。納得しました。

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