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仕事人秘録セレクション

カーネル・サンダース氏の思い出 和魂洋才の八分目経営(11) 日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

2017/3/17

 日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は米本社で、ついに創業者に出会います。

 ケンタッキー・フライド・チキンの産みの親、カーネル・サンダース氏との出会いはこうだった。

カーネル・サンダースさん(右)と

 米本社はホワイトハウスを模した造りになっていて、広い入り口の左の壁にサンダース氏の肖像画が掲げられていました。米国研修中のある日、その肖像をしみじみ見ていると背後から声をかけられました。振り返ると、そこに本人が笑顔で立っているではありませんか。思わず握手をしてもらいました。ものすごく柔らかく温かい手だった記憶が鮮明に残っています。

 サンダース氏は「部屋で話をしよう」と誘ってくださり、私は緊張した足取りで執務室に入りました。70歳を超えていた彼は名誉職の地位にありました。少し時間をもてあましていたようで、これまでの人生を丁寧に語ってくれました。

 同時にこの会社の現状を嘆き「こんな会社じゃなかったんだが」と。ちょうど第9話でお話ししたヒューブラインへの身売りが決まった後でした。彼のケンタッキーなまりの英語がすごくて聞き取りにくかったのを覚えています。

 彼の本当の名前はハーランド・デビッド・サンダースだった。

 「カーネル」はケンタッキー州に多大な貢献をした人物に対して同州知事から贈られる称号です。これまでにG・ブッシュ、B・クリントン両元大統領などがこの称号を贈られています。サンダース氏は、ペンキ塗り、機関士、保険のセールス、ガソリンスタンド経営、州議員への出馬(落選)などを経て、65歳で無一文になったこともあります。波瀾(はらん)万丈の人生です。

 サンダース氏はいつも白いスーツに黒いストリングタイを着用していました。それは今でもケンタッキー・フライド・チキンの店の前に置かれている人形そのものでした。72年に初来日した時もその格好でした。

 大株主の三菱商事に表敬訪問に伺い、社長室に通されて社長の藤野忠次郎さんらと会談中のことです。コーヒーがでてきて、砂糖を入れるとサンダース氏は胸ポケットにさしてあったペンを取り出して、そのペンでかき混ぜたのです。みんなが唖然(あぜん)としてもお構いなし。今度は滴のついたペンを白いズボンで拭いて、元の胸ポケットに。何も飾ろうとしない姿勢に誰もが彼を愛するようになるのだと思います。

 サンダース氏が作るフライド・チキンは格別だった。

 78年の2度目の来日だと思います。田園調布店でサンダース氏は自ら調理場に入ってケンタッキー・フライド・チキンを作りました。彼のチキンは本当においしかった。私たちも同じ条件でやってみたのですが、とても同じ味にはなりませんでした。「この差は何なのか」と我々は首をかしげるばかり。それを見て彼はニコニコしてました。

 そんな彼から晩年に「日本が一番、私の味を守ってくれている」と聞いたときには本当にうれしかったです。

[日経産業新聞2016年3月30日付]

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