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三菱日立パワーシステムズの西沢隆人社長(68)は三菱重工業に入社後、化学プラントの配管設計の部署に配属される。

最初の仕事はプラントを構成する圧縮機や計器類をつなぐ配管の設計でした。機械のデータを各部署からもらい、熱や圧力を加味して最適な配置を練ります。全体に目を配るため、案件を仕切るプロジェクトマネジャー(PM)の小間使いでもあります。責任者として多くの人を動かすPMを間近に見て、面白い仕事だと興味が湧きました。

PMの下で経験を積み、1981年、旧ソ連の工事責任者に。

にしざわ・たかと 1973年(昭48年)慶大院修了、三菱重工業入社。化学プラントや台湾新幹線など海外案件を多数経験。2014年2月から現職">

にしざわ・たかと 1973年(昭48年)慶大院修了、三菱重工業入社。化学プラントや台湾新幹線など海外案件を多数経験。2014年2月から現職

西シベリアの原油増産プロジェクトでした。最低気温はセ氏マイナス55度。パスポートを取り上げられ行動は逐一監視されました。不安でいっぱいのなか早速問題が生じました。現地ではソ連建設省がそろえた溶接士を三菱重工の専門家が技能指導して工事を進める段取りでした。ところが指導役の佐々木一生さんが用意された30人を試し、全員失格にしてしまったのです。

原油増産のため地下へ高圧ガスを送るには配管の溶接精度が不可欠です。腕の悪い溶接士には任せられません。建設省責任者は激怒し、私は生きた心地がしませんでした。すると佐々木さんと現地の溶接士3人が腕比べすることになったのです。各人が鉄板に試験片を垂直に溶接し、責任者がハンマーでたたく。すると、ほかの試験片ははげ落ちましたが、佐々木さんのはびくともしませんでした。

責任者は観念し、それから腕の良い溶接士を用意してくれるようになりました。私はほっとするとともに人を動かす難しさ、技能の価値を実感しました。丁寧な作業の積み重ねが信頼性の高いプラントをつくり上げます。佐々木さんのような人材を抱える会社を誇らしく思いました。

86年からイラク・バスラに赴任、原油貯蔵施設の現地PMになった。

イラン・イラク戦争のさなかで、事務所横に爆弾が落ちるなど危険と隣り合わせでした。ある日、近くの弾薬庫が誘爆し、流れ弾で外国人作業員1人が亡くなってしまいました。それから1カ月は毎日みんなで手をつないで現場内を歩くだけ。恐怖が薄れるまで仕事は止まりました。

ようやく再開すると、次は配管に水を流す試験で事件が起きました。通常運転の圧力を少し超えたところで分岐部がさく裂、測定器が吹き飛びました。何が起きたかわからず砂漠が水浸しになるのを眺めるしかありませんでした。

爆発した分岐部を日本に送りコンピューター解析すると、強度不足と判明しました。別のメーカーへ再発注、特急で取り寄せました。プロジェクトが遅れる要因は様々です。プラントの仕様や環境は千差万別で、その時々で対処を決めなければなりません。PMや現地責任者にはどんなにつらくても試行錯誤を続ける粘り強さが肝心です。

〈あのころ〉
 1980年代は日本のプラントエンジニアリング会社が海外進出を急いでいた。国内の大規模プラントの建設が一巡し、各社は資金力が豊富な産油国での案件発掘に注力。また造船や重機、重電メーカーが従来の機器の開発・生産から多角化を目指し、エンジニアリング事業を手がけ始めた。
[日本経済新聞朝刊2016年3月29日付]

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