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仕事人秘録セレクション

三菱商事から横やり入ったが  和魂洋才の八分目経営(7) 日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

 

2017/2/17

 日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回はKFCの日本法人に転職したときの話です。

 万博でのケンタッキー・フライド・チキンは大繁盛した。

 当時、運営していたのはノウハウがあったロイヤルでした。ちょうどその時、水面下では三菱商事が海外企業の参入規制の撤廃をにらみ、その数年前から米ケンタッキー・フライド・チキンと合弁会社の設立交渉をしていました。三菱商事は「ラーメンからミサイルまで」を標榜していたころです。飼料、養鶏、そしてケンタッキー・フライド・チキンとなれば垂直統合になります。交渉はまとまり万博開催中の1970年7月4日、日本法人が誕生します。米国の建国記念日でした。

 私はまだ大日本印刷にいましたが、万博の営業が一段落したので霞が関ビルに出入りし外資系企業の取り込みに奔走していました。実績を上げ、海外駐在の話も舞い込んできました。そんなある時、部長の給料袋の中身を見てしまったのです。テニスコートやマントルピースのある家という夢はとてもかなわない現実を思い知り、独立を意識するようになりました。

 日本KFCに誘われる。

日本KFC生みの親の1人、ロイ・ウエストン同社元名誉会長

 展望レストランで商談したロイ・ウエストンさんから「来ないか」と。しかし三菱商事の一部から横やりが入ります。「万博の営業時代に仕事を奪っていったヤツだ」というのです。ここで助けてくれたのが三菱商事で米社との合弁交渉を担当した相沢徹さんでした。「それくらいのヤツがいい」と逆にウエストンさんに推薦してくれたのです。

 フランチャイズチェーン(FC)展開の米KFCは「世界で一番多くの億万長者を作った会社」と言われていました。FC店の運営者として独立したかったので「店舗勤務なら」とウエストンさんにお願いし1号店の店長として入社が決まりました。入社は70年11月です。

 準備不足の開店だった。

 場所は名古屋で11月21日に開業する大型商業施設の駐車場の一画。ところが月初に現場に行くと店舗は建設中で、アルバイトも確保できていませんでした。「万博で人気だったお店です」とアルバイト募集のチラシを配ったのですが、さっぱりでした。

 店付近の地図を眺めると栄養専門学校があることに気がつきました。学校に出向き「米国で成功している会社です」と説明すると「名古屋は、かしわの本場だ」とヤジが飛び、声がする方を見ると角刈りの学生がいました。彼はこうも言いました。「日本で成功するとは限らない」。私は「米国以外でも成功している。面接だけでも来てほしい」と頼みました。

 その学生は面接に来てくれて、彼にこう言いました。「STAR IN YOUR EYES(君の瞳は輝いている)」。ロイ・ウエストンさんから私が入社を誘われた時の言葉です。効果はてきめん。働くことを決めてくれました。彼の名は中川達司さん。後に日本KFCの役員になる人物で、私と苦楽を共にしてくれました。

[日経産業新聞2016年3月24日付]

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