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仕事人秘録セレクション

名家の暮らし一転、辛い少年期  和魂洋才の八分目経営(2) 日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長 大河原毅氏

2017/1/13

 日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)創業時のメンバーで、3代目社長を務めた大河原毅氏の「仕事人秘録」。今回は生い立ちにさかのぼる。

 戦前は名家だった。

 祖父の時代の明治維新前後から生糸の貿易で栄え、現在の横浜磯子区の港の見える約3000坪(1万平方メートル)の敷地に住んでいました。3階建ての洋館には壁面いっぱいに洋書がある梅渓文庫と名付けた図書館もありました。生糸を英国に輸出した際に帰航船に洋書を積んだのです。名称は祖父が丁稚から勤めていた豪商の原三渓さんの名前と、明治天皇が近くにいらしたときに梅の植樹をされたところから名付けたそうです。

自宅の庭で兄と姉と(手前が本人)

 祖父は書生として多くの優秀な若者も住まわせていました。

 広大な庭ではチコという名古屋コーチンを飼っていて、そのチコは私を見かけるとチョコチョコとやってきて離れようとはしませんでした。後にフライドチキンの仕事をするようになったのも何かの縁のような気がします。

 そんな豊かな生活も敗戦で激変です。農地解放によって敷地が小さくなっていきます。子供ながらにさみしい気持ちになったのを覚えています。

 洋館では兄が通うミッションスクールの栄光学園の保護者会なども開かれていました。戦後、ドイツからいらした神父でもある校長先生の膝の上にのっかったり、半円形の帽子を面白がってポンポンたたいたりして、やんちゃでしたね。

 日本と同じ敗戦国のドイツからこんな極東の地の日本にいらして学校を創立し、親身になって教育活動をされている姿は不思議な気がしました。栄光の目指す人間像の1つに MEN FOR OTHERS, WITH OTHERS(自分の力を喜んで人々のために生かすことのできる人間)があります。しばらくして自分も栄光にお世話になってわかった気がしました。

 家もかしぐが、自分自身にも病が忍び寄ってきた。

 小学低学年で頑固な一面もあって友達からは「頑ちゃん」といわれていました。教室でふざけていて友達にポンと肩を押されて倒れると運悪く机の角で背中を強打。肋膜(ろくまく)に水がたまり小児結核になり入院です。「家も没落し、自分も肺を病んでしまう。なんでこんな不幸が重なるんだ」と嘆いたものです。

 栄光学園で優秀な成績を収めた兄の影響もあって私も入学を許されました。すばらしい校風の栄光で頑張るつもりでしたが中学1年で落第。これは私の努力不足によるものですが本当に悪いことが続いたものです。

 しかし辛(つら)いことはこれだけでは終わりませんでした。祖父から続いた家業が破綻してしまったのです。背もたれの大きなロッキングチェアに深く座りマントルピースの火を見ながらパイプを嗜(たしな)んでいた父親の姿はもうありません。それまで「旦那さん、旦那さん」と擦り寄ってきた人たちは、くもの子を散らすように去っていきました。そして自分の身にも試練が襲ってきたのでした。

[日経産業新聞2016年3月16日付]

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