伝説的バンドJAGATARA復活 豪華ゲストと祝祭ライブ
1980年代、先進的な音楽性で注目されながら中心人物の江戸アケミが急逝し、90年に解散した伝説的ロックバンド「JAGATARA(じゃがたら)」。30年を経て再始動し、復活ライブを開いた。
ちょっとのひずみなら 何とかやれる ちょっとのひずみなら がまん次第で何とかやれる――
1月27日、東京・渋谷のライブハウス。満員の観客が開演前からJAGATARAの代表曲「もうがまんできない」を大合唱する。バンドを率いたカリスマ、江戸アケミの30回目の命日に当たり「法要」と銘打っていたが、湿っぽさはみじんもない。皆が復活を待ち望む熱気が渦巻いていた。
ゲスト各々が解釈
不在の主役、江戸に代わってゆかりのゲストが登場し、JAGATARAの曲を歌っていくという構成。80年代、パンクバンド「ばちかぶり」を率いた俳優の田口トモロヲ、バンド「INU」で活動した作家の町田康、ラッパーの先駆者、いとうせいこうら豪華な顔ぶれが次々にマイクを握る。シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠は「今日は追悼やけど、新しいお祭りの日でもあるね」とほほ笑んだ。
古参ばかりではない。ナンバーガールを再結成した向井秀徳、シンガー・ソングライターの七尾旅人や折坂悠太といった下の世代のミュージシャンも登場。日本の土着的なロックを追求した江戸の精神に共鳴するように、新鮮な解釈を披露した。JAGATARAの中心メンバーの一人、OTO(ギター)は「まるで彼らのオリジナルであるかのように歌が存在していて、どの曲も新曲のようだった」と語る。
ノンストップで約4時間。最後はゲストが全員再登場して、観客と一緒に「もうがまんできない」を合唱した。江戸の歌声も流れ、活力と祝祭感に満ちた復活の一日となった。
ライブだけでなく、新旧の作品も矢継ぎ早に発表された。新曲と未発表曲を合わせた7曲入りCD「虹色のファンファーレ」のほか、名盤と名高いアルバム「南蛮渡来」(82年)と「裸の王様」(87年)がアナログレコードで再発売。89~90年の音源の定額制配信も始まった。
日本のロックでアフロビートやファンク、レゲエなどをいち早く取り入れたJAGATARAの音楽性は今改めて評価されている。初期はパンクの色が濃く、額をナイフで切って流血する、生きたシマヘビを食いちぎるといった江戸の過激なパフォーマンスが話題をまいた。81年にOTOが参加し、ブラックミュージックの要素を強めると音楽評論家らが絶賛した。
OTOは「日本の音楽がほとんどアメリカを追従しているのに反発を覚えていた。ナイジェリアのフェラ・クティらの存在は大きかった。放送局がかけやすいようにコンパクトな曲が良いとされていたが、そんな流れに反抗するように1曲を10分、15分、23分にしていった」と振り返る。
思想と音楽性拮抗
だが核にあったのはやはり江戸の圧倒的な個性だという。「普段の声から音量が大きくて、声質が良くて歯切れが良い。クティらの歌やメッセージには黒人ゆえの被差別への抵抗、不服従に裏打ちされた強靱(きょうじん)さがあるが、同じようにアケミには日本社会の理不尽さやデタラメへの警告と抵抗、不服従があった」とOTO。
音楽評論家の渋谷陽一氏は80年代、JAGATARAを自らのラジオ番組に招いてライブをするなど高く評価した。「アンダーグラウンドなミュージシャンはまず言葉や思想があって、音楽は後から付いてくるとなりがちだが、JAGATARAは思想と音楽性が拮抗していた。そこが素晴らしい」と指摘。そのうえで「洋楽を踏まえつつ土着のロックをやる。その姿勢は今ならKing Gnu(キングヌー)といった多くの若いミュージシャンにも受け継がれ、日本の音楽シーンの共有財産になっている」と話す。
今後の活動方針については、メンバー間で温度差もあるという。混迷する令和に目覚めたJAGATARAはどんな音を鳴らし、再び日本を揺さぶるのだろうか。
(多田明)
[日本経済新聞夕刊2020年2月25日付]
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