経済学ぶ意義はどこに 「金もうけ」の学問ではない
池上彰の大岡山通信 若者たちへ
私は経済について解説する際、気をつけていることがあります。専門用語を含めて、人々の行動に結びつけてわかりやすくすることです。経済学は人間の行動や心理を知り、世の中の仕組みを理解する生きた学問だと考えています。
経済学にはいくつも大事な、身近なキーワードがあります。そのひとつを挙げるなら「機会費用」でしょう。学生は私の講義に出席するという選択をしたことで、他のさまざまな可能性を諦めていることになります。
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たとえば、どこかでアルバイトをしていればお金が稼げたはずでしょう。デートをしていたら、楽しい時間を過ごせたかもしれません。大学に進学するという判断を含め、その選択肢は、学生たちの個人的な価値観に基づいているのです。
つまり、私の講義に出席することで、他の利益を捨てているともいえます。経済学は人間の行動や心理を多角的に分析する学問でもあるのです。せっかく講義に出席したのなら、一緒に考え、有意義に過ごしましょう。
講義の初めには経済学の役割について定義づけをしています。私なりに整理すれば、「資源の最適配分を考える学問」ということができるでしょう。原油や鉱物といった文字通りの資源だけでなく、人材も含められるでしょう。
日本は原油や鉱物などのような資源が乏しく、しかも人口が減り始めています。こうした国では、若者たちも貴重な資源なのです。学ぶことによって新しい世界を知り、仲間との活動を通じて様々な経験を積んでほしいと思います。
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経済学が対象にする「人間」というのは、かつては社会科学として成立させるために「合理的に行動する人間」を想定していました。しかし、いまでは「人間はそもそも合理的ではない」と捉えられるようにもなっています。
そこで、最近は「行動経済学」のような、現実の人間の行動や心理を前提にした分析手法も注目されています。
そもそも経済学という言葉は「経世済民」という言葉が語源になっています。「経世」とは「世を治める」こと、「済民」とは「民を救う」という意味です。決して、金もうけをするための学問ではありません。
少し遡って経済学の系譜をたどれば、18世紀の古典派経済学のA・スミス、マルクス経済学のK・マルクス、ケインズ経済学のJ・M・ケインズらが歴史に名を残した経済学者たちです。
いつの時代も人々は「貧困」や「恐慌」といった問題に直面してきました。経済学者たちはその解決に必要な理論を築いてきたのです。いわば時代のための処方箋です。
近年は、一握りの人々に圧倒的な規模の富が集中するという見過ごせない問題が表面化しています。
6月末、大阪で20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)が開かれました。首脳らが集い、世界が直面する課題について議論する場です。首脳宣言の骨子には世界経済、貿易、環境などに加え、デジタル経済を支えるデータ流通もテーマに盛り込まれました。
こうしたニュースは経済学を学ぶ学生だけでなく、若者が世界を知る生きた事例になるでしょう。これからもぜひ、注目していてください。
学生から関連した質問が寄せられています。問題意識を持つことは、新しい世界を知るための第一歩になります。大切なことは知識の多さではありません。一緒に考えてみてください。
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学生A 「どんな政策をすれば日本経済はよくなるのだろうか」
池上教授 「学生諸君には、まさにその答えを自ら考えてみてほしい。仲間と議論し、意見をぶつけ合うことが大切だと思います。考えるための情報や物事の見方を提供するのが私の役割だと考えている」
学生B 「金もうけの学問とは何か」
池上教授 「講義で『経済学は金もうけの学問ではない』と説明した点に関心を持ってくれたのですね。個人がもうけることとは異なるけれど、強いて挙げるなら企業の経営を考える経営学は、『もうける』という目的に近いのではないか。利益が出ていなければ厳しい競争に生き残ることはできないはずです」
学生C 「面白いと思った経済学の論文は何か」
池上教授 「論文というかたちではないけれど、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という名著があります。学生時代に読みました。宗教や宗派という視点から、人々の経済活動について捉えている点が面白いと思いました」
学生D 「日本経済は為替の円安・ドル高で利益を得ているのか」
池上教授 「とてもよい着眼点ですね。確かに、自動車や機械のような輸出が大きい産業から見れば、円安は売上高を増やす重要なカギになるでしょう。ところが、海外から原料や部品を輸入している企業にはコストアップ要因になります。プラス面とマイナス面があることを理解しておく必要があるでしょう」
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学生E 「これまでの人生で最も達成感を感じたことは何か」
池上教授 「経済学とは直接関係ないけれど、答えましょう。NHKの記者時代を振り返れば、現在の文部科学省にあたる役所を取材して書いた特ダネが全国放送のニュースで流れたときです」
「大学で教えるようになってからは、円高と円安の仕組みを説明して学生に理解してもらったときでしょう。教室の最前列にいた学生が、思わず『わかった!』と声をあげてくれました。あの喜んだ姿を、いまもハッキリ覚えています」
20世紀の終わりに冷戦が終結しました。東西分断の象徴だった「ベルリンの壁」が崩れるとは夢にも思いませんでした。
規制や障壁がなくなり、グローバル化とよばれる時代を迎えました。グローバル化の反作用ともいえる現象もあります。トランプ大統領が唱える米国第一主義に象徴される「保護主義」がその代表例といえるでしょう。世界史を百年の長さで振り返れば、これもいつか来た道です。
いま経済学部で学んでいる学生だけでなく、将来、志そうという高校生にも、「自分ならどんな時代の処方箋が描けるか」ということをぜひ考えてみてほしいのです。
[日本経済新聞朝刊2019年7月8、15日付]
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