身の回りにあふれる統計 翻弄されぬ正しい知識を
池上彰の大岡山通信 若者たちへ
日本の1世帯当たりの平均所得は560万2000円(所得の対象期間は平成28年。厚生労働省調査)だそうです。この数字は、あなたの実感から納得できるでしょうか。「なんだ、自分の家庭は日本の平均より低いのか」と、がっかりした人もいるでしょう。
でも、ここには数字の魔術があります。「平均」という概念です。米国には、こんな小話があります。経営者たちが集まっている部屋にマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が入ってきた途端、その部屋の人たちの平均所得は急上昇した。
所得の高い人が少数でもいれば、平均所得は上がってしまうのです。
こういうときは「中央値」の数字もみましょう。こちらは、日本の1世帯当たりの所得を高い順に並べ、その真ん中の人の所得を調べるのです。
これだと、先ほどのデータの中央値は442万円に下がります。これなら納得という人もいることでしょう。「平均」という概念は、注意深く見ていかなければならないのです。
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何を言いたいか、わかりますね。厚生労働省の「毎月勤労統計」の調査が正しく実施されていなかった問題です。
従業員500人以上の大規模事業所については「全数調査」をしなければいけなかったのに、3分の1だけ抜き出して調査していました。
従業員500人以上の企業は、最低の500人から最高は十数万人に及ぶものまであります。そのうちの3分の1しか調べなければ、全体を代表したものになりません。大きな誤差が出ます。
一方、500人未満の事業所に関しては抽出調査をしていますが、500人以上の企業ほど従業員数の違いが極端ではないので、誤差は大きくならないのです。
なぜか従業員数500人を境に、それより少なければ抽出調査、多ければ全数調査にしていた意味を理解しないまま調査が漫然と続いていたからこそ、今回のようなことが起きたのでしょう。
平均所得の数字を使って、「日本人の世帯所得は高い」という主張もできる半面、中央値の数字で「日本人の所得はまだまだ」と言うことも可能です。
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統計の数字は、私たちの身の回りにあふれています。毎朝の天気予報で出される「降水確率」。あなたは何パーセントになったら傘を持って出るでしょうか。気象協会の知人は、「30%だったら折り畳みの傘を持って出る」と言っていました。
あるいは、「首都直下地震」が今後30年以内に起きる可能性は70%と聞いたとき、「発生するのは30年後」と思い込んではいないでしょうか。
私が働いている放送業界でも、毎朝、前日の視聴率のデータが送られてきます。たとえば関東で調査対象になっているのは、わずか600世帯。この世帯を対象にした抽出調査ですから誤差が出ます。視聴率が9.9%と10.0%では有意差(意味のある違い)はありません。それでも2桁の大台に乗るとうれしいものです。
そんな数字に振り回されている放送業界の人たちを見ると(自分もその一員なのですが)、統計に対する正しい認識の大切さを痛感します。統計学は理系の学問に分類されますが、文系の人たちにも正しく理解できる能力が求められます。まさに「文理融合」が必要なのです。
[日本経済新聞朝刊2019年2月25日付]
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