ごま油香る江戸前天丼 庶民の味から高級店まで探訪
揚げたての旬の魚介や野菜の天ぷらを独特のたれに絡ませる「天丼」。庶民の味から高級店の天丼までバラエティーに富む。発祥の地とされる東京の天丼も素材や油、たれ、調理方法の微妙な差異によっておいしさにも違いがあるようだ。有名店が多い向島、浅草を巡った。
「天ぷら、天丼のカリスマ」と地元やインターネットで評判の職人が作る天丼があると聞いた。半蔵門線の押上駅から歩いて約15分の東京・向島にその店はある。江戸時代には風雅な行楽地として知られ、今も料亭が立ち並ぶ。隅田川七福神の長命寺、弘福寺の通りを挟んで前にあるのが河原のあべ(東京・墨田)だ。
老舗が多い東京・下町の天ぷら・天丼専門店の中で7年前の開店は新顔だが、かつてお茶屋だった建物を改装した店舗だけに粋な感じが漂う。店の名前の河原は隅田川にちなむ。
店主で職人の阿部公一さん(44)が仕入れ、仕込み、調理などを一人でほぼ全て切り盛りする。独立して今の店を持つまで約20年、浅草や銀座などの日本料理店で修業してきた。
人気の河原の天丼で、ご飯の上に盛られた天ぷらはアナゴ、エビ、ホタテ貝、アシタバ、ニンジン、ナス、エビしんじょうとレンコンのはさみ揚げ。実に華やかだ。煮物などの総菜もセルフサービスで食べられる。ボリュームがあるようだが、総菜がお腹に入っていても、すっと食べられるから不思議だ。
カギは素材の新鮮さもさることながら油とたれにもある。江戸前天丼の特徴は香りに特徴があるごま油で揚げ、濃いたれをからませることだが、ここではごま油を少なめにしてコメ油を主体にする。「香りを大切にしながらもご飯に合うようにしている」と阿部さん。たれにも一工夫。穴子だけは半分くぐらせるが他は少なめに上からかける。江戸前の伝統は生かしながら「さくさくした食感とさっぱり感を心掛けている」。このあたりの工夫がカリスマのゆえんだろう。
伝統的な江戸前天丼を楽しみたいなら、隅田川を渡った浅草が本場だ。作家・池波正太郎も通った味を提供するのが天藤(東京・台東)。伝法院通り近くにある。創業は1902年(明治35年)で現在の店主、香西洋さん(50)は四代目になる。
香西さんは三代目の飯田祐広さん(故人)の女婿。約10年前、三代目から店を継ぐように頼まれ、指導も受けていたが、3年前に三代目が亡くなったのを機に店に立つことになった。香西さんが仕入れや仕込み、調理を担当し、義母の飯田サチさん(74)がご飯を丼によそうなど手伝う。
エビ、キス、ナス、かき揚げがのる天丼を食べる。見た目も味も伝統的な江戸前天丼だ。池波正太郎はエッセーの中で、天藤を訪れて天丼を食べた老女の言葉を借りて「また寿命が延びた」と書いている。言い得て妙だと思った。素材の味と歯ごたえがたれとうまく絡み合い、腹にももたれない。
香西さんは職人になる前は歯科技工の会社に勤務。技術系出身らしく、油、たれ、調理についての研究は熱心だ。特にたれにはこだわりがある。「二代目は45年の東京大空襲の際も丼つゆ(たれ)のかめと三代目を抱えて逃げた」という。
天丼のたれは天ぷらにつける天つゆを代々受け継がれるたれと調合する。天ぷらをくぐらせているうちに濃くなるというが、特徴はあまり甘くしないこと。「最初はいいが、後がしんどくなる」(香西さん)
東京・浅草のランドマーク「雷門」のすぐ横で、江戸時代から天ぷらと天丼を供するのが三定(東京・台東)。江戸前天丼を始めたのは三定とされる。
創業は1837年(天保8年)。三河出身の初代真田定吉の名にちなんで屋号がついた。明治時代の観光版画にも浅草のにぎわいと共に三定が描かれている。本館、新館合わせて280席。今も修学旅行などの団体客が訪れ、盛況だ。
創業家の真田家は経営に専念し、店はベテランの職人が切り盛りする。調理場は3~4人の分業制で、この中で天丼や天ぷらができあがっていく。人気の上天丼のネタはこの日、エビ、ハゼ、小エビと貝のかき揚げ。コクがあるが飽きが来ない味だ。専務の真田奈美さん(57)は「いつも変わらない江戸前の味を提供し続けることを目指している」と言う。
天丼も天ぷらも素材や油、小麦粉から作る天ぷら粉など原材料は共通している。しかし料理が違うのだからおのずと違いがある。河原のあべ店主の阿部さんは「天丼の天ぷらは多少衣を厚めにする」と話す。「ご飯の上での存在感を高める」ためだ。
天藤の香西さんは「天丼の天ぷらは通常よりも長く揚げる」と強調する。「天丼は丼に蓋をしてやや蒸らして供する。水分を抜く揚げ方をする天ぷらが水蒸気で水分を再度含んでしまうため、これに負けないよう時間をかける」のが理由だという。
(M&I編集長 後藤直久)
[日本経済新聞夕刊2017年10月31日付]
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