釧路っ子はスパカツ 熱々鉄板にスパゲティとカツ同居
「釧路っ子の体の半分はスパカツでできている」。そんな話がまことしやかに流れるほど、スパカツは北海道の東部、釧路市の土地に根ざしている。スパゲティとカツが一体となったボリューム感のある料理は自慢のご当地グルメだ。
「はねますのでお気をつけください」。釧路を代表する繁華街、末広町。観光名所の一つ、幣舞橋の近くにあるレストラン泉屋本店はスパカツ発祥の店だ。お客さんの約4割が注文するというスパカツを頼むと、熱い鉄板の上でジュージュー音を立てるミートスパゲティが運ばれる。ミートソースの下には豚カツが隠れている。そのフォトジェニックな見栄えから、最近は観光客がインスタグラムに投稿する釧路のご当地料理の上位を占める。
油が跳びはねるのが落ち着くのを待って、熱々のミートソースを絡めたスパゲティ、豚カツを口に運ぶ。やや太めの麺は引き締まっていて、ほどよい硬さと歯応えがある。約200グラム超の麺と約100グラムの豚カツを食べ終えると満腹感に襲われるが、ミートソースにくどさがないせいか意外に胃にもたれる感覚はない。
泉屋本店のシェフの一人、天岡賢悦さん(47)は「特別なことはしていないが、ひき肉、玉ねぎ、デミグラスソースなどを合わせて作ってから数日寝かせる、ミートソースが味の決め手なのかな」と語る。
泉屋のスパカツのもともとの名称はスパゲティミートカツ。生みの親は創業者の小泉俊一社長(82)だ。戦後の焼け野原で炉端店を営んでいた母親のすすめもあって釧路や札幌の洋食店で修業を積んだ小泉さんが独立して現在の地に泉屋を開業したのが1959年、24歳の頃だった。「当時はミートソースやナポリタンといった洋食は珍しく、豚カツも家庭ではなかなか食べられない料理だった」と振り返る。
開店から1~2年、その頃木造だった建物はすきま風も入り、冬は特に寒かった。「最初は皿で出していたが、ハンバーグやステーキに使う鉄皿にスパゲティをのせれば最後まで熱々で食べられるのではないかと思って出してみたら好評だった。豚カツも人気メニューの一つで、カツとスパゲティを一緒に食べられたらどうかと思いついて、スパゲティにカツをのせてミートソースをかけて出してみた」(小泉社長)
最初は特別料理だったが、意外性が受け、しっかり食べたい会社員や学生の支持も得て看板メニューになった。今では本店で1日に200~300食は出る。女性で平らげる人も多い。スパカツの名称はフロアから厨房に注文する際にそう呼んだことから定着した。
泉屋発のスパカツは釧路を中心に広がっている。直営のビッグハウス店とイオン昭和店の2つの支店に加え、泉屋で働いたシェフが独立開業した店が釧路市や周辺に8店ほどある。
JR釧路駅の北側にある洋食店、スパゲティーハウス ピレネもその一つ。ボリュームあふれる盛りつけが特徴だ。七條泰満代表(62)は20歳ごろから約20年間泉屋で働いた後に独立。「泉屋は多い日で1日3千人ほどが来店する繁盛店でほとんど休む間もなかった。厨房での立ち居振る舞いから料理、心の持ち方まで小泉社長にはすべてを学んだ」と語る。スパカツは看板メニューの一つで、ここではミートソースに酸味を加え、量が多いスパカツを食べてもすっきりした感覚が残る。
釧路市郊外の洋食店、レストラン千房(釧路町)の冨田信幸社長(56)は泉屋の宴会部門などで働き97年に独立。もともと和食出身でミートソースのうま味を出すのにかつお節を使っており、しっかりした味付けが特徴だ。「小泉社長の号令一下、皆一糸乱れず動いていた」と懐かしがる。小泉社長は「スパカツは市民のちょっとしたぜいたく」との思いにこだわり、価格は千円以下にしている。"卒業生"の店でも「教え」を守っているところが多い。
釧路出身者の多くが帰省して、古里を実感するのがスパカツを食べた瞬間だという。小泉イズムとともにスパカツは釧路に着実に根付いている。
泉屋のスパゲティの麺は日清製粉のデュラム・セモリナ100%を使用する。パンや天ぷら粉に使う小麦とは違う、デュラム小麦を粗びきにした小麦粉で、良質のたんぱく質を含み、弾力性があるのでゆでてもコシが強くくずれにくい特徴がある。
泉屋は日清が国内の工場で製造する麺を使う。同社製の麺の使用量としては東北、北海道地域で最も多いという。かつては日本一だったこともある。泉屋の麺は太さ1.9ミリメートル。芯はないが硬さが残る仕上がりになるようゆで方などにも気を配る。
(釧路支局長 野間清尚)
[日本経済新聞夕刊2017年10月10日付]
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