親子丼 実は東京がふるさと 流れる卵、鶏肉ひきたて
鶏肉を割り下などで煮ながら卵汁でとじ、ご飯の上に載せる「親子丼」。庶民的な食べ物と思われているが、都内では、ランチタイムで1500~1600円という名物親子丼に列ができる。材料や調理方法へのこだわりが人気の秘訣のようだ。
古くは花街として栄えた神楽坂。「芸者小道」と呼ばれていた石畳の途中に別亭鳥茶屋(東京・新宿)がある。うどんすきの名店だが、ランチタイムには、親子丼目当ての客がひきもきらない。
昼食営業が始まる11時半、厨房は一気に忙しくなる。料理人の塩沢善四郎さん(65)が7つのガスコンロとその周りに親子丼用の親子鍋を並べて、一人前ずつ具材を調理する。「コツは卵をふんだんに使い、卵を入れたら鍋をあまりかき回さないこと」。「ふわ~とろ」になったところで、丼に盛ったご飯の上にサッと移す。
別亭鳥茶屋は1999年開店。半年後にランチタイムに親子丼を出すが、うどんすきの名店として、食材にこだわった。割り下のだしには天然の利尻昆布を使用。鶏は、ワインのぶどうの搾りかすを配合した独自飼料を与えて、肉を軟らかくした富士高原どり。卵は岩手県の南部どりの赤玉。親子丼は980円だが、鉢物、煮物、デザートで1540円の親子御膳を注文する人が8割を占める。
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25年前に、鳥つね本店(東京・文京)の支店として外神田にオープンした鳥つね自然洞(東京・千代田)。「好きなようにやっていい」と店を任されたものの、ほとんど人通りがなく、店長の佐々木久哉さん(53)は「味で勝負するしかない」と比内地鶏と名古屋コーチンを使う高級鳥鍋の店を目指した。
昼食時は開業直後から一般の銘柄鶏を使った1000円の親子丼と限定メニューで出していた比内地鶏と名古屋コーチンを使う1500円の特上親子丼を提供してきた。一貫して人気を保つのは特上親子丼の方だ。現在は1600円で限定20食で販売しているがすぐに売り切れる。
ほかの店よりも濃い割り下で鶏肉を煮て、ほどよいところで卵をほとんどとかずに入れ、ふたをして約50秒。絶妙のタイミングで調理された親子丼は、食べているうちに卵と煮汁がご飯に流れ落ち、卵かけご飯のようになる。約1100円のコストがかかり利幅は薄いが「夜、この味を知ってくれた人が訪ねてくれれば」と期待する。
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1891年(明治24年)に親子丼を考案した店として知られる人形町の玉ひで(東京・中央)。「汁かけ飯は品がなく家格が落ちる」とされ、実は親子丼は出前専門だった。ランチタイムに店で出されるようになるのは1979年。先代の山田耕路氏に社長が代わったばかりのころだ。銘柄鶏を使って600円で販売したが、材料費高騰で採算がとれなくなり「客に食べさせてやっているという感覚になっていた」ため、接客はおざなりになった。
「1760年創業のシャモ鍋の老舗も続かなくなる」と危機感を抱いた8代目の山田耕之亮社長(55)は、2000年に店を改装、親子丼を600円から800円に値上げした。「もう行列ができなくなるかもしれない」と覚悟したが、値上げ初日にそれまでの3倍の列ができて「胸をなでおろした」。
その後、高級化路線を進む。シャモを使った1300円の親子丼を投入。東京都と共同開発した東京シャモを使った最高級の1500円の「極上親子丼」も加えた。結果的に「極上」に注文が集中し他の親子丼は販売をやめた。
玉ひでの親子丼は、鶏肉と卵以外は入れない「親子水入らず」だ。ふたをあけたときの香ばしさは「いい鶏肉といい卵を使っている証拠。あえてミツバやネギで香りを出さない」と山田社長。
道具にもこだわっている。親子丼の店の多くは「親子鍋」と言われる取っ手が上を向いている鍋を使っているが、フライパンのような形の銅製の鍋を使う。「この鍋の方が親子丼は作りやすく、よりおいしく作れる」(山田社長)
鶏肉の味が一番わかるのが親子丼。名物親子丼を食べ歩くと、その神髄に触れられる。
親子丼は明治時代に玉ひでの5代目・山田秀吉の妻、とくが創作したとされる。8代目の山田耕之亮社長は「店で最初に親子丼を扱ったのは当店だが、その頃、すでに客の間で、鶏肉をすき焼きの割下で煮て卵でとじた親子煮が人気だった。もしかしたら一般家庭で先にいまの親子丼の食べ方が始まったのかもしれない」という。
というのも「親子煮を冷やご飯にかけて、ふたをすると、ご飯が炊きたてのようにふっくらしておいしくなる」からだ。現在の丼物のルーツをたどると、家庭の知恵にもたどりつくのかもしれない。
(生活情報部 相川浩之)
[日本経済新聞夕刊2017年5月2日付]
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