ジンギスカン@「遠野物語」 肉文化もり上げるバケツ
ジンギスカンといえば北海道をイメージする人が多いだろうか。実は民俗学者である柳田国男の「遠野物語」の舞台として知られる岩手県遠野市にも、独自に発展したジンギスカン文化がある。市民にとって焼き肉は牛肉でも豚肉でもなく羊肉だ。真ん中が盛り上がった南部鉄器製のジンギスカン鍋はどこの家庭にも1台以上あるという。
その秘密を探るべく、遠野の老舗専門店「あんべ」を訪ねた。おすすめの「ラムカタロース定食」を頼むと、タマネギやモヤシなどの野菜とともに、赤身と脂身のバランスがよく色鮮やかな生の羊肉が運ばれてきた。北海道ではタレに漬け込んだ味付き肉を出すところが多いが、遠野では焼いた後にタレを付ける。
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店内に食べ方の説明書きがあった。鍋が温まってきたら付いてきた脂を全体に塗り、真ん中に置く。野菜を鍋の縁に並べ、空いている場所に肉をのせる。すぐにひっくり返さず、しばらく我慢。肉の縁に焼き色が付いたらひっくり返し、少し焼いたミディアムレアが食べごろだ。
特製のタレをたっぷり付けて食べると、ほどよい歯応えで、口の中にラム肉の甘みが一気に広がる。懸念していた臭いはまったく気にならない。最初さっぱりしていたタレは肉汁と混ざってさらに味わい深くなり、肉、野菜とともにご飯がどんどん進む。
「肉の品質にはこだわっています」。社長の安部吉弥さん(47)が自信を持って説明する。自然の牧草を与えられたオーストラリア産の羊肉をチルド状態で輸入。鮮度が劣るものは返品するという。「経験がないと見極めが難しいんですが、遠野では全体的にレベルが高いですよ」
安部さんは3代目。遠野でジンギスカンを始めたのは初代の梅吉さんだ。戦時中に旧満州(現中国東北部)で羊肉料理を食べていた梅吉さんが自家製のタレを開発、1955年ごろから店で出し始めた。
岩手県では英国発祥の毛織物「ホームスパン」製作のため、羊の飼育が盛んだった。新鮮な肉が身近にあったものの食べる習慣はなく「当初は『羊の肉を食っているのか』と笑われたようです」。味を知ってもらおうと祭りで安く販売するなどしてPR、店に行列ができるようになった。
さらに人気を高めたのが2代目の好雄さん(76)が考案した「ジンギスカンバケツ」だ。イベントなどで貸し出していた七輪は配達途中に割れることが多かった。好雄さんはバケツに通気孔を開け、固形燃料を使うことを思いついた。店頭で鍋とバケツの無料貸し出しを始めると、手軽さが受け、瞬く間に広まった。
現在、専門店は4店。「遠野食肉センター」は遠野でいち早く子羊のラム肉を扱った。成長した羊のマトン肉が主流だった50年ほど前、臭いがないラム肉を出すようになった。同店は「現在でも肉の鮮度を大切にしています」と説明する。2店を経営する「まるまん」では食べ放題コースが人気。バジルやクミンをまぶした肉もあり、焼いた後、タレを付けないで食べる。
このほか市内の焼肉店や食堂にもメニューにジンギスカンがある。鍋とバケツの無料貸し出しは精肉店やスーパーでもやっている。使った後、洗わずにそのまま返却できるのが便利だ。
「ジンギスカンは生活の一部になっていますね」。5年前から「バケツでジンギスカン大会」を主宰する高宏美鈴さん(49)は物心が付いたころからずっと羊肉を食べてきた。
「花見に花火大会、運動会、秋祭りなどの行事だけでなく、人が集まれば外で『焼き肉』をします」。芋煮を食べる秋のイベントでも遠野ではジンギスカンがメインになる。自宅ではガレージや庭先でバーベキューのように羊肉を食べるのが一般的だという。
ジンギスカン大会を始めたのは「観光客にも遠野の食文化を知ってほしい」という思いからだ。例年6月にJR遠野駅前の広場で開催、250人ほどが堪能している。
「専門店はそれぞれにタレが違い、市民の中では派閥ができるほど好みが分かれています」と高宏さん。店をハシゴして食べ比べするのも楽しいだろう。
遠野では羊肉を食べることをジンギスカンという。炭火で網の上で焼いてもジンギスカンだ。「あんべ」では通信販売で、しゃぶしゃぶなど様々な食べ方を提案している。昨年12月に発売した「丼の具」はお湯で温めるだけで家庭で簡単に丼を楽しむことができる。
羊肉は牛肉などより融点が高く、体内で吸収されにくいという。また体脂肪を燃焼させる働きがあるとされるアミノ酸「カルニチン」を多く含んでいる。おなか回りが気になったら試してはどうだろうか。
(盛岡支局長 冨田龍一)
[日本経済新聞夕刊2017年3月28日付]
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