揚げ物なのに「山賊焼き」 長野の豪快鶏肉グルメ
長野県塩尻、松本両市の飲食店や総菜店が販売する「山賊焼き」は鶏のもも肉や胸肉を丸ごと揚げた豪快な料理だ。空揚げと似た料理で、最近相次いで登場したB級グルメと思われがちだが、誕生は戦前戦後にさかのぼる。揚げ物なのに「焼き」とつく名称に、当時の食糧事情も垣間見える。
JR塩尻駅から歩いて5分の好立地にある居酒屋「山賊」。店の横には「元祖山賊焼」の石碑が立つ。名物メニューの山賊焼きは、400グラム以上の骨付き鶏もも肉を揚げたもので、大人でも1人ではなかなか食べきれない。ニンニクの香りも強い。店主の高見直孝さん(43)は「これだけ大きくても、一昔前は1人に1つずつ山賊焼きを出さないと怒られた」と話す。
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レシピは前身の飲食店「松本食堂」の店主で高見さんの祖父、故安治郎氏夫妻が戦前から戦後にかけて考え出した。しょうゆ、酒、みりんにすり下ろしたニンニク、タマネギなどを混ぜたたれに骨付きのもも肉を漬け、片栗粉を衣にして揚げる。持って食べられるように、足の骨を残した骨付き肉を使う。
当時は揚げ油が高価でなるべく使わずに済むよう、もも肉をできるだけ平らにし、大きなフライパンで揚げた。焼き物に似た作り方に客の覚えやすさも意識し「山賊焼き」と名付けた。
1つ食べただけで満腹感が味わえるなどヒット商品となり、店名も商品にちなんだ名前に変えた。安治郎氏自身も料理教室を開き、塩尻、松本両市で飲食店メニューとして広まった。
松本市の精肉店、本郷鶏肉は山賊焼き用の肉を飲食店に販売していたが、約50年前から総菜として販売を始めた。山崎肇社長(65)は「先代社長が持ち帰って冷めてもおいしいようにレシピを工夫した」と話す。JR塩尻駅近くなどで店舗展開する加藤鯉鶏肉店(塩尻市)も約30年前から山賊焼きを販売。加藤光久社長(77)は「総菜として家庭に広まったことで地元の味として定着した」とみる。
観光客も味わう郷土料理として注目され始めたのは2000年代前半からだ。火付け役は松本市で、04年に市内の飲食店で構成する松本食堂事業協同組合の青年部が観光客向けの郷土料理づくりを協議。山賊焼きに白羽の矢を当てた。
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09年に山賊焼きを出す市内の飲食店に、PR用ののぼり旗を配布するなどして知名度を上げた。12年には山賊焼きを出す料理店や総菜店で構成する「松本山賊焼応援団」を設置し「胸肉の1枚ものか、もも肉を使う」「必ずショウガを入れる」などの基準を設けた。
応援団の副団長、志賀丈師さん(50)が店主の居酒屋「一歩」の山賊焼きは、塩尻市とは異なる。大きさは「山賊」と同じぐらいだが骨はない。たれにはショウガを使いニンニクの香りは弱めだ。志賀さんは「松本の山賊焼きは持ち帰りを意識して、香りが外に漏れないようショウガを入れた」と説明する。応援団の参加は85店・事業所に上る。
塩尻市も08年、市が旗振り役となり塩尻産の商品の魅力を引き上げる「ブランド推進室」を設置。商品の一つに山賊焼きを加えた。「発祥の地として塩尻の方でもPRをしたかった」(ブランド観光商工課)
10年に元祖の山賊のレシピなどを基に「骨付き鶏肉をニンニクを効かせたしょうゆだれに漬け込み、片栗粉にまぶして揚げたもの」など「3つのこだわり」を定めた。12年に「しおじり山賊焼の会」も設立、41店・事業所が参加する。
10年には両市の飲食店関係者が松本大学も交えて「山賊焼を考える会」を結成。両市の飲食店で山賊焼きを箱詰めにしたクリスマスボックスやコンビニ向け弁当の商品開発を進め、「さんぞくやき」の語呂合わせで3月8日を塩尻の、同9日を松本の「山賊焼の日」として連日イベントを開催するようにした。
「考える会」のまとめ役で、地域資源の活用法などを研究する松本大総合経営学部の白戸洋教授(57)は「きちっとしたネットワークを作ってアピールできるようになった。今では長野県を代表するグルメになったと思う」と力を込める。
山賊焼きが誕生した戦前戦後の飲食店は卵を産まなくなった「廃鶏」などを丸ごと譲り受け、自ら食肉として処理して調理していた。鶏肉の処理施設が少なかったためだ。松本大学の白戸洋教授はニンニクじょうゆに漬け込んで揚げる調理法について「肉質がぱさぱさしがちな廃鶏の水分を漬け込むことで補い、1枚丸ごと揚げることで肉汁をとじ込める意味合いもあった」とみている。「当時はハレの日に鶏料理をごちそうとして食べる習慣があった。鶏料理自体がA級グルメだった」とも指摘する。
(松本支局長 一丸忠靖)
[日本経済新聞夕刊2017年2月14日付]
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