介入のとき(上・下) コフィ・アナン、ネイダー・ムザヴィザドゥ著
理想と無力感 手に汗握る回顧録
「風の向きを変えることはできないから、舵(かじ)を取れ」という格言が終章に引用されている。うまく舵取りができれば、どの方角にでも進めるのだ。ポスト冷戦時代、国連事務総長コフィ・アナンは国際社会の見事な船頭役を務めた。読み応えがある回顧録である。
上巻は、手に汗握る迫力がある。ソマリア、ルワンダ、旧ユーゴ、東ティモール、ダルフール、ケニア。暴力に引き裂かれた国々で、アナンは国家を私物化する悪党と交渉し、主要国の政府を説得する。複雑なゲームのなかで何が本質的に重要かを瞬間的に見抜くアナンの能力に、圧倒される。
PKO局長時代、各地の大量虐殺を阻止できなかったことが悔やまれたのだろう。事務総長に就任したアナンは「保護する責任」などの新しい原理を導入して、国連改革に邁進(まいしん)していく。一連の努力は正当に評価され、2001年、「アナンと国際連合」はノーベル平和賞を受賞した。
しかし、下巻に入ると、アナンの失望と無力感が伝わってくる。中東の泥沼の紛争に身動きがとれない。9.11事件を経て、復讐(ふくしゅう)に燃えたブッシュ政権がイラク侵攻に乗り出すと、米英と国連の対立は決定的になった。安保理の合意を重視したアナンは米国政府から遠ざけられ、さらに爆弾テロで頼りにしていた同志を失う。国連も米国も、大きく傷ついた。いま振り返れば、アナンの方が正しかったのは明らかだろう。
カナダの政治学者イグナティエフは、本書の解説でアナンの業績をややシニカルに再評価している。だが、アナンが世界各地で深い尊敬を集めた事実は変わらない。それは彼が、虐げられた者の側に決然と立つ道義性を貫いていたからである。指導者の資質として、こうした人格力がますます重要になっているのではないか。
アナンは西アフリカのガーナでの自分の生い立ちにも触れている。粘り強い対話と交渉でコンセンサスをつくりだし、より大きな大義に貢献するという政治手法は、アフリカ政治の最良の伝統だった。マンデラやオバマもそうだが、近年の世界はアフリカ系の指導者の力量に救われている。
必要なときには断固として介入せよ。武力の脅しをかけてでも悪党から妥協を引き出し、無辜(むこ)の民を救え。ただし、大国の独断では道を誤る。強制力は、国際社会の共通の意思に基づくものでなければならない。これがアナンの中心的なメッセージだった。
アナンの理想主義が国連に引き継がれていくことを願う。
(同志社大学教授 峯 陽一)
[日本経済新聞朝刊2017年2月12日付]
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