土の記(上・下) 高村薫著
激動を隠し持ちつつ進む巨編
奈良県の東のはずれに近い大宇陀の山中に独りで暮す70代の男の、農耕に明け暮れる日々が語られた小説である。2010年の梅雨の雨音に目覚めるところから物語は始まる。妻は16年前に交通事故に遭い、植物状態になったまま年頭に死んだばかりである。東京出身の男は、婿入りした妻の実家を受け継いで暮している。もとは電機会社の社員で地質学に興味があり、自宅には土壌標本のモノリスを置いている。そんな彼の農耕生活は、どこか理科の実験じみていて「宇宙人みたい」と身内からからかわれている。さらに老齢の一人暮らしゆえか、最近物忘れが多い。妻の死も実感がなくて、生前の記憶がまだらに蘇(よみがえ)ったり薄れたりする。
数々のミステリーで名高い著者だが、本書で謎めいているのは妻の事故直前の行動くらいだ。妻はときどき他の男と会っていた。言葉に出さない不満やわだかまりが見え隠れしていた。果たして事故は偶然なのか故意なのか――。
しかしその謎を解決することに決着点があるわけではない。男の記憶は真実に近づいたかと思うと、また虚妄のような白日夢へ逃れていく。疎遠になった娘から孫娘を預かったり、娘が再婚相手の外国人を連れてきたり、過疎に近い村落にも華やぐ非日常が時おり訪れるものの、主人公の人生に特段の数奇なドラマが起こるわけではない。
にもかかわらず、ただ目前の些事(さじ)に追われ、また記憶の迷宮をさまよい続ける男の日常の営みに付きあっていると、その自然のなかのゆったりした時間が読み手の身体にじわじわ染みこんで来る。雨音で目を覚まし、早暁の冷えた空気を吸い、水と土に注意を傾ける。山中に自生した茶の木を見守り、水田の苗の生育に目を凝らす。そのリズムが、過去の経験の有無にかかわらずどこか懐かしく慕わしいのだ。人の暮らしのせせこましい生臭いドラマを、平然と水と土が支え覆い包んでいる。
年を越した3月には、800キロ離れた東北で大震災と原発事故が起きる。その巨大な土の振動と水の暴力が、この物語の地盤とつながっている。いや、むしろあの大災害を受けとめるのに、この遠く隔たった辺境の地の日誌のような時間が必要だと作者は確信していたのではなかろうか。21世紀の混迷の時代に、人が生き死にすることの意味を、本書は定点観測のような水と土の自然の営みに没入することから捉え直そうとしているのではあるまいか。
激動を隠し持った静寂の巨編である。
(文芸評論家 清水 良典)
[日本経済新聞朝刊2017年1月22日付]
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