ダイコン・ニンジン… 野菜で楽器、吹く笑い
漫談家、はたのぼる
生野菜に鉄のパイプで穴を開けて即席の楽器をつくり、漫談とともに尺八のような音色で民謡や童謡を奏でる。日本でただひとり、野菜を吹奏する漫談家として90歳手前になったいまでも、東京・浅草を中心に演芸場の舞台に立っている。
定番の素材はダイコン、サツマイモ、ニンジンだ。ダイコンは腐りにくく細工もしやすい。尺八をモデルに、縦笛のように吹く。サツマイモは横笛型。指で押さえる穴は4~6つあればたいていの曲は正確に演奏できる。最も工夫したのがニンジン。中心部をくりぬいた後、ぬいた芯の部分を再び穴に入れ、吹きながら上下させるスライド式。トロンボーンのような動きで音階を自在に奏でることができる。
フキはフキにくい
うまくいかない野菜も多かった。もともと穴のあるフキ。これは細すぎてフキにくい。レンコンは穴が多いので、狙った穴に息を吹き込むためには首をハスに構えなければならない。ナガイモは形は良いが、1回吹くと口の周りがかゆくなって仕事にならない。
福井の鯖江で生まれ、海軍の予科練を経て終戦後は福井市役所に勤めた。仕事の傍ら、地元の劇団に所属して俳優の勉強をしたり、バンドを組んで進駐軍相手のレストランで演奏したりと、舞台に関わる活動もしていた。思えば子供の頃から神楽が好きで、音とユーモアが共存する世界に憧れを持っていた。
「水道管に穴」の着想
音楽をきちんと勉強したいと、22歳のとき親戚を頼って上京。翌1950年の春、品川にあった日本音楽学校に入学した。昼間は学校に行き、放課後は演奏活動。当時は東京駅の八重洲口にバンドの仕事を紹介してくれる窓口があり、夕方そこに行くと、その晩の出番を当てがわれる。バスで横浜や横須賀の米軍施設に送ってくれて、演奏して帰ってくる。テナーサックスを吹いていた。
そこでできた仲間とコミックバンドを組み、プロ活動を始めた。59年には楽器を使った音楽ショーを披露する「灘康次とモダンカンカン」に加入。年中休みなく演芸場やラジオの仕事に追われた。あるテレビ番組で美空ひばりさんと共演したのは特別な思い出だ。
68年にピン芸人となって始めたのが尺八漫談。しかし尺八漫談はライバルが多い。オリジナリティーをどう出そうか悩んでいると、たまたま舞台で使う尺八がヒビ割れてしまった。出番が迫り、とっさに思いついたのが舞台裏に転がっていた樹脂製の水道管で代用することだった。
裏方にノコギリとキリを借り、舞台に出て喋りながら即席の縦笛をこしらえて吹くと大ウケだ。調音のために長さを整えるうちどんどん笛が短くなって、ほとんどなくなったところで時間となって舞台を降りた。
それからしばらくは水道管ネタを試行錯誤。分岐させて蛇口をつけたり、一部に水をためたりして面白い音を出し、自分なりの演芸を見つけることができた。水道管から連想してゴムホースも使った。柔らかいので、ホース自体を曲げたり揺らしたりすることで尺八演奏のコツとなる首振りの効果があり、ビブラートがつけやすい。
そうこうしているうち、あるテレビ局から番組でチクワを尺八代わりに吹いてくれという依頼を受けた。やってみると良い音がする。尺八だって元は竹だ。舞台でもチクワを使ったが、夏場はすぐににおってくる。冷凍して使ってみたが、演奏中に溶けてきてやりづらい。ほかにやってみたのはコンニャク。臭わないし、成形しやすく便利だった。いまでもコンニャクは演奏している。
師匠知らず弟子とらず
チクワ、コンニャクときて、おでんの具材つながりで試したのが初めての野菜楽器となるダイコンだった。野菜はいつも出番の直前にスーパーで新鮮なものを買う。使用済みの野菜はもちろん、自宅でおでんにしている。忙しい時期は毎日おでん。穴が開いているので火の通りも良く、味もよく染みる。うちの子供達はおでんの具には穴が開いているのが当たり前と思って育った。
81年にはロンドンで開かれた一芸名人の世界大会に出場した。野菜とゴムホースでガーシュインのジャズ「サマータイム」を演奏して準優勝し、日本人で初めてという国際的な大道芸人のライセンスをもらった。
「師匠知らず、弟子とらず」で半世紀近くやってきた。生涯現役をはた印に、お客様に笑いを届け続ける。
(漫談家)
[日本経済新聞朝刊2017年1月23日付]
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