貸本マンガと戦後の風景 高野慎三著
実体験から語る時代と作品群
かつて貸本屋という商売があった。5坪もないような店先に棚を置き、大衆小説やマンガ、娯楽雑誌などを並べて、一泊いくらで貸したのだ。1948年ころに神戸で生まれた、保証金をとらずに本を貸すシステムの普及で、大衆の安価な楽しみとして人気を集めるようになった。50年代半ばが最盛期で、東京オリンピックの前後には衰退する。戦後復興期から高度成長期前半という短い期間である。貸本マンガとは貸本屋向けに出版されたマンガのことだ。誕生は53年ごろ。貸本屋の衰退とともに姿を消した。本書は、貸本マンガの盛衰とその前後を紹介している。
著者は、創刊当時の『月刊漫画ガロ』などで活躍し、現在もマンガ出版社「北冬書房」を経営するベテラン編集者。
40年に生まれ、13歳で貸本マンガの誕生に遭遇。それまでに読んでいた児童マンガにはない「猥雑(わいざつ)なエネルギーを内包する」作品世界に惹(ひ)かれ、今日に至るまでずっと貸本マンガを追い続けている。
語られるのは、著者自身の貸本体験と貸本屋のあった街の情景である。立ち位置は「戦後史的な視点」だ。ノスタルジーや刷り込みによってきれいに歪(ゆが)められた戦後でなく、実際に目で見て肌で感じた真実の戦後。とくに著者が目を向けるのは、戦争で親を失った花売り娘や靴磨き少年、集団就職で地方から都会にやって来た若者たちなど、高度成長のお祭りから置き忘れられた貧しい人々の姿である。彼らこそ、貸本マンガの読者だったのだ。
したがって、作品への評価も戦後社会のリアルを描いたかどうかが基準になり、戦後マンガの王道を歩いた手塚治虫や、貸本出身ながら娯楽作品を中心に描き続けるさいとう・たかをへの評価はなかなか手厳しい。ただ、本書を読めば、著者が手塚やさいとうの作品を嫌っているのでも、否定しているのでもないことはわかる。
貸本マンガだけでなく、貸本小説や街頭紙芝居など、周辺テーマも幅広く論じているが、読みごたえがあるのは、白土三平や水木しげる、つげ義春、つげ忠男ら、著者自身が編集者として関わった貸本関連のマンガ家たちについて語った部分だろう。60年代後半、新宿の淀橋(西新宿)に暮らした『ガロ』時代の著者と評論家の石子順造、つげ義春らが交錯するエピソードを読むと、正直、著者がうらやましくなった。
貸本世代には懐かしく、貸本マンガを体験できなかった世代にとっては貴重な口伝だ。
(漫画評論家 中野 晴行)
[日本経済新聞朝刊2017年1月15日付]
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