観察力を磨く 名画読解 エイミー・E・ハーマン著
「見ていない」ことを知る観賞
書名を見て「ああ、名画の見方を教える本ね」と思ったあなた、ちょっとお待ちあれ。
ぱっと見で判断する前に、もう少しだけ見てみよう。表紙に「VISUAL INTELLIGENCE」とあるのは原題で、「見てとる情報収集」と訳せようか。副題は「知覚を磨けば人生が変わる」。あれ? 美術らしき要素がない。
目次はどうか。全体は「観察」「分析」「伝達」「応用」の4部からなる。各章は「カモノハシと泥棒紳士」「私はなぜ、引き金を引いたのか」「ワインの値段」とミステリ小説のよう。名画はどこ? と思ってめくるとフェルメールやマグリットをはじめ多数の作品が載っている。
はてさてなんの本か。著者は美術史家で弁護士。彼女の「知覚の技法」というセミナーは、FBI(米連邦捜査局)やCIA(米中央情報局)などの専門家をはじめ各種企業人なども受講して効果が認められているという。本書はその技法、観察力の磨き方を伝授するレクチャーなのだ。
基本は美術作品をよく見て言葉にしてみること。なんだそんなことか。と思ったら、手近の絵で試してみよう。見てとったものを書き出せばよい。
例えばその絵には、テーブルに向かってカップを手にした女性がおり、背後には大きな窓のようなものがある。と、こんな具合に目にとまった大まかな状況だけでは足りない。絵は細部で満ちている。例えば彼女の服装に注意が向いただろうか。見る人の観察力次第で、見てとれるものは大きく左右される。
また、「孤独な女性がコーヒーを飲んでいる」と書きたくなるかもしれない。だが絵には彼女が「孤独」ともカップの中身が「コーヒー」とも描かれていない。それは見た人の意見だ。
こんなふうに試してみると、私たちは存外よく見ていないことが分かる。大きなものを見落としたり、見たものに含まれていない意味をあてはめて推測したりする。とはいえ無理もない。これは周囲に危険がないかを瞬時に察知しようとする生物として当然の働きでもあるからだ。
だが物事をよく観察して事実に迫る場合、これでは足りない。知覚の性質を弁(わきま)えて、事実と意見を区別する必要がある。著者は、美術作品の観察を通じて認知の仕組みを知り、分析や伝達の能力を磨こうと提案している。
本書の教えは仕事や日常生活でもおおいに役立つ。日々真偽の定かならぬ大量の情報にさらされている私たちにとっては必須の技法と言ってもよい。そう、人生が変わるくらいに。
(ゲーム作家 山本 貴光)
[日本経済新聞朝刊2016年12月11日付]
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