あらゆる文士は娼婦である 石橋正孝、倉方健作著
出版人と作家 多様な駆け引き
文学の歴史は一般に、作家と、作家が属する流派ないしグループにそくして文学の流れを辿(たど)る。しかし作品が世に出るためには、原稿を読み、刊行を決断する出版人が必要である。日本でも、作家が特定の編集者や出版社と強いつながりを築くことは稀(まれ)ではない。名伯楽と呼ばれる編集者がいる所以(ゆえん)である。彼らの活躍に着目すれば、文学の別の側面が見えてくる。
本書は19世紀フランスを舞台にして、出版人に焦点をあてたもうひとつの文学史である。挑発的なタイトルは、20世紀フランスを代表する出版人ガストン・ガリマールの言葉に由来する。そこだけ見れば、節操のない作家に出版人が泣かされた話かと想像されるが、けっしてそうではない。両者の立場と力関係によって、さまざまな駆け引きが展開し、友情と離反の物語が繰りひろげられた。
1862年、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を出版するのは、以前から彼の作品を手掛けていたエッツェルと見られていた。しかし、ユゴーが要求した出版契約料があまりに高額だったので、彼はためらった。そのためらいに乗じて、半ば虚勢で『レ・ミゼラブル』の出版権を手にしたのがラクロワだった。この小説の大成功で彼は大金を手にし、その後しばらく安定した経営が続いた。他方でそのラクロワは、評論集を出したがっていたボードレールを冷遇した。
駆け出し作家が出版社に原稿を持ち込んでも、相手にされないことが多い。1864年、ひとりの貧しい青年がエッツェルに送った短篇(ぺん)集の原稿が、ラクロワに引き取られた。ラクロワは多忙だったが、青年の熱意にほだされ、その作品に将来性を感じて出版を引き受けた。こうして『ニノンへのコント』と題された作品が、同年12月に刊行される。後の大作家エミール・ゾラの誕生である。
当時から詩集が売れないのは常識で、しばしば自費出版だった。新たな潮流をになう詩人たちをサポートしたのが、ルメールという出版人である。彼の書店には高踏派の詩人たちが集う。ルメールはまさに、文学の庇護(ひご)者の役割を演じたのである。彼らの多くがアカデミー会員に選ばれ、後にはノーベル賞作家も生まれる。商業的には不遇な詩人が、文化的には高い評価を享受したのだった。
この時代、出版人が経営する書店が創造をうながす文学サロンだったことがよく分かる。そこでの知的な緊張感が文学の営みを刺激した。フロベール、ランボーなど、わが国でも馴染(なじ)み深い作家にまつわる興味深いエピソード満載の本である。
(仏文学者 小倉 孝誠)
[日本経済新聞朝刊2016年12月11日付]
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