長崎九十九島 シーカヤックでこぎ尽くして20年
自営業、澤恵二

長崎県の西海国立公園にある九十九島。展望台や遊覧船からは、200を超す島々が織りなす美しい風景を味わえる。その島のひとつひとつをつぶさに見ると、実は多彩な魅力があると気づく。豊かな自然や珍しい地層、砲台や炭鉱跡。私は約20年前からシーカヤックで全島を巡ってきた。
私の育った佐世保市日野町は江戸時代に製塩が盛んで、島々を入会地として薪を採っていたようだ。そのつながりで母の実家は島を所有していた。私にとっては、小学生の頃から伝馬船で渡って探検していた仲間との絶好の遊び場だった。潮が引いて船が浜に上がり、夜まで帰れなくなってこっぴどく叱られたこともある。
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江戸時代「つくもじま」
就職先が京都で海を離れると、登山を教わって熱中した。すぐに帰郷して兄と鉄工所を経営したが、時間には融通が利く仕事だ。岩登りやオリエンテーリングなどの山岳競技で国体に出場するほどになった。
40代で山岳競技を引退すると、今度は知人からシーカヤックに誘われた。レースでは地図を読んで指定ポイントを巡り、ゴールを競う。山岳競技と通じるところもあり、またものめり込んだ。仕事前の早朝練習などで年に100日は海に出る。さすがに毎回まじめに練習していては疲れる。何気なく九十九島を巡ることにした。
九十九島は江戸時代には「つくもじま」と呼ばれ、佐世保の近くのおよそ100島を指していたようだ。明治時代に「くじゅうくしま」と呼称が変わり、戦後、国立公園化を目指す運動のなかで、北に連なる島々も含まれるようになった。小さな無人島が多く、人が住むのは4島だけだ。
私は地質や化石が好きなので、まず島に上がってみることにした。大概は一周すると、どこかに小さな浅瀬が見つかる。シーカヤックは喫水線が浅いので近くまで行きやすく、ほぼ全島に上陸できた。
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化石・植物、楽しい発見
地質では野島にある野島層群が研究者にはよく知られている。日本海が形成される前の様子を示す化石がたくさん発見されているのだ。私は焼島の海岸線を歩いていて、ゾウの仲間と推測される足跡の化石を見つけた。
島に上がると植物も見るようになる。対馬海流の影響で、ここを北限とする植物も少なくない。黒島に育っていたつる性植物は、シーカヤックのレースで毎年訪れていた奄美大島で見たものによく似ていた。それが奄美と同じサツマサンキライとわかって驚いたこともある。
野鳥も多い。ちょうど渡り鳥のルートにあたるようだ。タカの仲間のミサゴもみられる。私が子供の頃、崖地に大きな巣があったのをおぼろげに覚えていて、2006年に初めて巣を確認した時には感動した。今もミサゴの季節になると朝早くに海に出て、巣を探して回っている。
豊かな自然ばかりではない。軍港の佐世保港の出入り口に近い高島には、高射砲台の遺構がある。前島には特攻艇の格納庫や訓練基地の跡が残されている。
石炭も採掘できた。作業所跡や捨て石のボタ山が残る島もある。私の父方の高祖父も明治初期に採炭しており、ある島に保有していた採掘する権利を、三菱財閥の岩崎弥太郎氏に譲渡したという証書が家に残っていた。大金を手にしたはずだが、経理担当者に持ち逃げされたという話だ。
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魅力発信へ全島図鑑
島々の魅力をこれまで撮りためた写真をもとに14年、写真展で紹介したところ大好評だった。そこで島のひとつひとつに解説を付けた「九十九島全島図鑑」を出版することにした。せっかくなので全島の写真を撮り直したい。ふだんは隣の島と地続きだが、大潮の日の満潮時のみ分離する島もある。分かれるのを待ち構えて撮影するなど苦労もあった。
植物が生えていて満潮時に独立するものを島として、改めて数えると216あった。01年に佐世保市民らが参加した「九十九島の数調査研究会」が数えた時は208だったが、植物がなくなるなどさまざまな理由で島の数は変わる。それもまた面白い。
今は競技用、2人乗り、遊び用など8台のシーカヤックを持ち、月に数回は楽しみながら海に出ている。九十九島は風や波が穏やかなので、年中通して海を楽しめる。夏がシーズンと思われがちだが、暑すぎて好きではない。海の澄む秋口からが良いと思う。私が学んできた知識を生かして自然塾を開くなど、今後も九十九島のすばらしさを発信していきたい。
(さわ・けいじ=自営業)
[日本経済新聞朝刊2016年12月8日付]
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