オはオオタカのオ ヘレン・マクドナルド著
野生と暮らし人間らしさ知る
ケンブリッジ大学のリサーチ・フェローとして科学史を研究していた一人の女性が、父親の死を契機に、その寂しさを癒(いや)すために、鷹(たか)のなかでも最も野性的なオオタカの「鷹匠(たかじょう)」となる。本書はその一年余りの記録だ。
しかし、鷹を調教するたんなる記録ではなく、小説でもあり、イギリスでの鷹をめぐる文化史でもあり、同時に、著者がオオタカの視線となって、自らの思索過程を克明に追う随想録にもなっている。実に不思議な魅力に満ちた本だ。こんな内容と文体を持つ本は、日本ではとんとお目にかからない。
著者が森の奥深くに棲(す)むオオタカに出会ったときの描写が素晴らしい。「目を上げた。そのとき私のオオタカが見えた。(中略)鼻の中で氷のにおいがした。氷とワラビと松脂(まつやに)のにおい」。あるいは別のオオタカについての描写。「燃えるような深いオレンジ色の眼(め)をしていてとても美しかった。御影石の崖壁、あるいは雷雲のような美しさ。(中略)彼女の羽毛は独特の、先史時代のにおいがした」
わたしは著者がオオタカを描くときの詩的な描写の鮮烈さに打たれ続けた。まさにその描写に導かれるように本書を読んだと言ってもいい。翻訳が見事だ。
また、本書に厚みと深さを与えているのは、著者が子ども時代から親しんでいたT・H・ホワイトの鷹についての本『オオタカ』からの引用とその記述の徹底した批判、また、ホワイトの執筆風景を想像して、物語化している箇所だろう。鷹を飼うことは、かつては貴族や特権階級の、しかも男性文化の象徴としてあった。それがいかにくだらない、間違った鷹への取り扱いだったのか。
野生とともに生きる、というのは、そういうことではないと、著者は言う。「私は殺すことが大嫌いだ。蜘蛛(くも)を踏むのもいやだし、蠅(はえ)を助けて笑われるくらいなのだ。それなのに今、私は初めて、血に飢えているとはどういうことかを理解した。鷹の視線に寄り添って初めて納得できた。(中略)狩りは人を動物にするが、動物の死は、人を人間にする」
著者はオオタカに「メイベル」と名付けた。「私はメイベルとともに暮らしてみて、たとえ想像のなかであれ、人間でないとはどういうことかをひとたび知ることができれば、そのことによって、人はより人間らしくなれるのだということを学んだ」
鷹を通して人間を見つめること。情緒を排した関係性のなかで、人は家畜化しない、野生そのものの猛禽(もうきん)類を、守護霊のように感じることができるのだ。
(詩人 佐々木 幹郎)
[日本経済新聞朝刊2016年11月20日付]
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