料理通異聞 松井今朝子著
たちまち消える儚さに懸ける
万物流転。とりわけ料理は、一瞬の輝きを放って消える刹那の命。しかし、その儚(はかな)さに生涯を懸け、江戸中に名を轟(とどろ)かせた男がいた。「八百善」主人、福田屋善四郎である。実在の料理屋を舞台に据え、波瀾万丈の一代記が動き出す。
江戸が大地震に見舞われた天明二年、元服を迎えた善四郎は大名相手の金貸し業の屋敷へ奉公に入り、出自の秘密に気づく。旗本の娘、千満(ちま)に抱いた恋心の苦い顛末(てんまつ)。のちに恩人となる人物との出会い。天災や打ち壊し騒動。荒波に漕(こ)ぎ出しつつ、恃(たの)みとしてみずから育てるのは、料理への熱い情熱である。
一国一城の主として存在感を増してゆく善四郎から目が離せなくなるのは、その姿に江戸料理の開花が託されているからだ。世知を身につけ、ここぞと思えば天性の度胸と勇気で攻めに出る……一場面、一場面、なるほど名料理屋を築くとはこういうことかと唸(うな)らされる。さらには、大田南畝、山東京伝、亀田鵬斎、谷文晁、渡辺崋山、酒井抱一ら、時代の寵児(ちょうじ)たちとの交遊が華やかに描かれ、江戸文化の粋が行間から贅沢(ぜいたく)に匂い立つ。全編を通じて、登場する江戸料理の数々が五感を刺激することはいうまでもない。
それにしても、料理と料理屋の本質をこれほど直截(ちょくせつ)かつ鮮烈に活写する小説をほかに知らない。「この世で一番大切なのは、己(おの)れの形を自らで見つけることだ」と鵬斎先生に指南を語らせる一方、「絵は後年まで残るが、料理はたちまち消える」。その儚さがあればこそ、人は惹(ひ)き寄せられるというべきか。料理というものにつきまとう宿命、つまり豊饒(ほうじょう)と無常の両義性を、著者は知り抜いている。
時代と世間に揉(も)まれ、人との出会いに学び、腕を磨きながら「生きる証(あかし)」を掴(つか)もうとする懸命な人生。江戸一の料理茶屋として狂歌に詠まれるほどの名声にも、甘んじることはない。人生の終盤、「生きる証」をさらに掘り起こそうとする善四郎の決断は、老いを輝かせ、なんとも爽快な読後感だ。
人と人との縁は、本作そのものの誕生にも深く関わっている。鎌倉に現存する「八百善」十代目当主が、代々伝わる古文書の数々を惜しみなく著者に披露したことによって、小説の着想が生まれたという。江戸期から続く料理屋の歴史が、京都の老舗割烹(かっぽう)を生家に持つ著者に託された縁の不思議。おおもとをたどれば、実質的な創業者「八百善」四代目善四郎が、時空を超えてこの芳しい物語を操っている――そんな夢想を促され、思わずぞくりとするのは私だけだろうか。
(エッセイスト 平松 洋子)
[日本経済新聞朝刊2016年10月30日付]
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