錆と人間 ジョナサン・ウォルドマン著
身の回りに溢れる厄介な現象
錆(さび)、誰が気にかけるだろう? しかし紹介されるエピソードは圧巻の面白さである。錆に着目した時点で、成功は決まったのかもしれない。本書は、著者の処女作にして米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの年間ベストブックを受賞し、数々の賛辞が寄せられている。それほど、錆の世界は我々の想像を超える。
錆の問題は、人類に極めて重要なことを投げかける。本書を読みつつ見渡せば、たしかに錆は身の回りに溢(あふ)れている。誰も錆を止めることはできない。この厄介な現象との壮絶な闘いが、これでもかと紹介される。そして錆に注目することで、より高次の、大切な思想が鮮やかに抽出されていく。
本書は、錆と防食にまつわる基本的な情報紹介を織り交ぜながら、ニューヨークの自由の女神を襲った錆のエピソードから、ステンレス鋼発見、缶詰技術の凄(すご)さ、アメリカ国防総省やパイプラインの運営会社による錆との闘いで捲(ま)き起こる人間模様を掘り下げていく。世界最強のアメリカ軍が毎年、何もしないのに約2兆1千億円もの被害を受けている事実や、パイプラインの腐食検査ロボットによる壮大な宇宙探査にも似たドラマは、分厚い本書の中でも特に紙幅が割かれている章だが読んでいて時間を忘れる。
人類が突きつけられている問題を明確に示すエピソードとして"缶"に触れた章を取り上げたい。副題にもなっているビール缶は、じつは奇跡的な技術の産物であるという事実を知った後に、環境ホルモンの懸念が語られる。著者の筆致は冷静である。環境ホルモン問題に対する業界からの反論と、環境学者による警告を並べて記述。最後は、技術を過信する楽天的な潮流の危険性を鋭く指摘する。
そもそも錆との闘いは、人類がモノを創り出し、それを使い続けたいという反自然的な行為が必然としてもつ業のようなものである。闘っても闘っても、意外なところから何度でも現れる危機は、人類と科学技術、ひいてはグローバル経済との折り合い方を再考させる。
そのうえで「維持することの価値はもっと高く評価されるべき」「予防は修復よりはるかに賢い」「壊れることを前提にした消費社会は間違っている」「この悪循環を取り除くべき」といった本質が炙(あぶ)り出され"それでも人類は立ち向かうことができる"というメッセージを残す。そのために必要なのは気づくことであり、本書を読むことなどを通して、知ることである。
(東京農工大学准教授 渡辺 泉)
[日本経済新聞朝刊2016年10月16日付]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。