見えざる手をこえて カウシック・バスー著
グローバル化と民主主義の共存
著者の目的は、グローバル資本主義が露呈させた様々な「抜け穴」を塞ぎ、それを途上国の貧しい人々にも受容される枠組みに改善することに置かれている。
前半はゲーム理論に基づくミクロ開発経済学の定石を展開している。正直に取引すると自他のためになると分かり合って世の中を組み立てるとき、互いに助け合い、発展する社会が起動する。しかし、そのなかに妙に利己的な者がいると、瓦解の引き金を引くかもしれない。人間の利他的な性向を、非合理的と切り捨てるのではなく、育てる教育が必要と説く。
中盤はマクロへの橋渡しである。契約の自由は市場経済の大原則だが、当事者の対等性が実質的には確保されていない場合、時に政府の介入が、よりましな市場経済の拡張に役に立つ。あるいは、財政基盤、民主主義的基盤が脆弱な途上国政府の場合、政府の力が弱すぎるがゆえに、契約の自由と表裏をなす十分な司法業務を提供できず、結局、裁量的に行政が介入する方が、よりましな資源配分を実現することもありうる。
中盤の結節点を介して、後段はマクロ政治経済学が扱われる。主題は、グロバール資本主義と民主主義の共存である。グローバル資本主義は世界経済の成長を促したものの、その結果として生み出された貧富の差の拡大が、グローバル資本主義への懐疑をもたらしているとする。
昨年、米連邦準備理事会(FRB)の利子率引き上げに対し、途上国に及ぼす影響への懸念を世銀エコノミストとして表明し、その後も途上国経済の先行きに警鐘を鳴らし続ける実務家としての著者の姿勢は、本書に語られる学者としての良心と整合的だ。
物足りなさを感じるとすれば、原著が刊行された11年以後に生じた変化によるものであろう。本書は、先進国民に対して、途上国を包摂する寛容な政治経済の枠組みを提案し、途上国がグローバル資本主義を受け入れる条件を整えることを説いた。しかし、近年、グローバル資本主義と開かれた民主主義に対する脅威は、米大統領候補のトランプ氏をはじめ、米欧の大衆迎合主義となりつつある。
19世紀後半に始まる最初のグローバル化は先進国の大衆民主主義と折り合わず、瓦解した。瓦解の一角を担ったのは言うまでもなく、日本帝国の大衆民主主義である。グローバル資本主義を飼いならすための処方箋は、もはや途上国民のみならず、先進国民の納得のためにも必要である。我が身、我が国に引きつけて読み込みたい。
(東京大学教授 中林 真幸)
[日本経済新聞朝刊2016年10月9日付]
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