ピカソになりきった男 ギィ・リブ著
贋作ビジネスの実態を明かす
映画になればさぞかし面白そうな、これはフランス人贋作(がんさく)画家の自伝である。娼館(しょうかん)で生まれ、父親は後に殺人を犯して服役、母親は占い師、本人のギィは絵筆を持つよりピストルを握るほうがふつうという環境で育つ。しかし彼には天与の才があり、贋作ビジネスに取り込まれ、贅沢(ぜいたく)三昧の30年を送った末に逮捕される。
驚くべきは、彼が本人に成り切って描いて売った著名画家の多彩さだ。ピカソ、マチス、シャガール、フジタをはじめとして、なんとテニールスやゲインズバラ、ルーベンス派まで手がけている。贋作者はふつう得意分野が限定されるので、これはきわめて稀(まれ)だ。逮捕後、ギィの絵は処分されたが、彼が言うには、いまだオークションに出まわっているし、美術館で展示されているものもあるらしい。
本作では巨大化した贋作ビジネスの実態が詳しく描かれ、そこには画商も鑑定家も大きく関与していることが実名とともに暴かれる。絵画の資産価値が増大するにつれ、作品そのものより画家のネームバリューが重要視されるのは今に始まったことではないが、手口はより巧妙さを増し、見抜き難くなっている。
ギィという複雑な人物像も魅力的だ。彼は贋作することで一流画家と生で対話しているような、あるいは役者になったような喜びを感じたこと、顧客を騙(だま)す興奮に中毒性のあること、さらに莫大な収入にも惹(ひ)かれたことを正直に告白する。贋作と創作が混然とし、犯罪と極端な浪費癖から抜け出せなかった。
ギィは友人たちから、それほどの力があるのになぜ自分の作品を描かないのかと聞かれている。もちろんそれを痛切に感じているのは自分自身なのだ。彼はピカソの言葉――「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる」――を引用して曰(いわ)く、「俺の問題は、巨匠を模倣して時間を使い、そして、うまくできるようになったことだった」。自らの悲劇の源をよく知っていたようだ。シャガールの贋作にこっそり自分のイニシャルを描き入れた行為は、なにやら切ない。
ギィと同じく、どん底から人生をスタートさせたアルプスの画家セガンティーニを思い出す。彼もまた路上生活や感化院を経て絵の道に入った。作品は長く売れず、貧窮生活が続き、それでも創作への熱情を失わなかった。だからセガンティーニは独自の世界を構築し得た。才能を磨き続けた者と、贋作に浪費した者……。
ギィは逮捕されてホッとしたという。今は自分の絵を描いているのだそうだ。
(ドイツ文学者 中野 京子)
[日本経済新聞朝刊2016年10月2日付]
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