宗教を物語でほどく 島薗進著
古典や童話から近作にも言及
宗教の本質は、必ずしも宗教書に記されているとは限らない。それはしばしば文学のなかにある。さらにいえば宗教には、文学的表現を取らなくては表現の困難な何かがある。その本質は、論理では語り得ない、非言語的な意味のうごめきのような姿をして私たちの前に現れる。著者は、そうした不可視な、しかし、避けがたい力をもって迫りくる働きへの畏怖と畏敬を「宗教心」と呼ぶ。
題名から見ると本書は、物語による宗教学入門ということになる。だが、内実はそこに留(とど)まらない。執筆に際し著者は、まず、宗教学者としてではなく、一人の物語をこよなく愛する者として臨んでいるからだ。この本は、宗教学者による文学入門でもある。
入門書を書くのは難しい。だが、必要だ。優れた作品を読むのは登山に似ている。そこで私たちは未知な、また大いなる出来事を体験することもできる。一方、ある者にはときに躓(つまず)きの経験にもなることもある。
また、入門書の読者にはさまざまな人がいて、なかには強い探求心を持ちつつ、抵抗感、そして懐疑心とともに本を手にする者もいるだろう。
だが、本書はそうした人々にも静かに寄り添うものになっている。そこに記されている言葉には、自分の学説を押し付けるような態度も見られず、独断的な表現も記されていない。むしろ、本を焦(あ)せらず読んでよい、と穏やかにはげましてくれる。
取り上げられているのは、アンデルセンのような古典もあれば、ジョージ・マクドナルドの童話、現代日本文学を代表する武田泰淳の『ひかりごけ』、遠藤周作の『深い河(ディープ・リバー)』や石牟礼道子の『苦海浄土』あるいは、いとうせいこうの『想像ラジオ』、星野智幸の『呪文』、西加奈子の『きりこについて』のようにごく近年に発表された秀作もある。もちろん、専門領域である『新約聖書』や仏典のなかにある物語にも言及されている。
そのうちの一つ、トルストイの『イワン・イリッチの死』をめぐって著者は次のように書く。「死すべき存在としての人間のあり方をよく知る者こそが、弱さを超える何かをつかんでいるらしい」
宗教のもっとも重要な役割の一つに世界観の転換がある。それは、私たちが日ごろ見過ごしがちな小さな出来事のなかにも偉大な、と言いたくなるような稀有(けう)なる人生の秘密が潜んでいることの明示にほかならない。読者は、そうした無数の叡知(えいち)の光を、この本に少なからず見ることになるだろう。
(批評家 若松 英輔)
[日本経済新聞朝刊2016年9月25日付]
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