パンのまち神戸 定番と進化
食卓の顔 香る焼きたて
港町・神戸は「日本一のパンのまち」でもある。1868年(慶応3年)の神戸開港の翌年にはパンの店があったとされ、最近は食パンの購入量が全国主要都市トップだ。居留地の外国人向けだったパンを、食感や風味、売り方までこだわって市民の食生活になじむようにした歴史が、日々の食卓に反映されている。
「白米のように、飽きのこないパンをつくる」。神戸市中央区に4店舗を持つイスズベーカリーの2代目、井筒英治社長(67)は今日も手作業に余念がない。
各店に近い本社内では、社長や職人が手際よく生地を食パンになる大きさへ切り分けていく。自動の機械も普及しているが、「手分割により、程よい食感に仕上がることを確かめられる」と井筒さんはいう。
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1970年ごろに自ら商品化した山型食パン「ハード山食」は、油脂や砂糖の量を一般的な食パンの3分の1~5分の1に抑えた。トーストしても油脂の香りがあまりしない。毎日食べることを考えた工夫だ。
イスズの食パンづくりは小麦をこねる所からの全工程に約6時間かかる。栗など秋の味覚を取り入れた商品なども手掛けつつ、食パンへのこだわりは強い。
総務省の家計調査(2013~15年平均)の主要都市ランクをみると、神戸市は食パンの購入量・額ともに首位。古くからパンが定着したまちの食卓に、毎日おいしいパンを届けようと多くの店が努力してきた。
阪急神戸線岡本駅(東灘区)近くのフロイン堂には、その努力を映す窯がある。終戦(45年)の前年の設置で、今も現役だ。
2代目店主の竹内善之さん(83)は「余熱で焼くのがミソ」という。窯を高温に熱した後に焼くことでパンに均一に熱が行き渡り、表面はカリッとしつつ中はふんわりした食感が出る。
薪(まき)を燃料にしてきたが、入手困難になり7年ほど前からガスにかえた。この窯に適したバーナーを懸命に探し、窯にパンを並べる本数も熱の行き渡り方の違いを調べ、約50本から40本に減らした。小麦粉も手でこね、質にこだわる。
善之さんによると父親はドイツ出身の職人が大正時代に神戸で開いた歴史があるフロインドリーブ(中央区)でパン作りを学んだ。
港町に外国から届いたパン文化が、先人らの工夫で地域に浸透した。明治後期の1905年に藤井パンとして創業したドンク(東灘区)は経緯を象徴する。
2代目の藤井全蔵氏は23年にカフェ付きの店を神戸で開業。焼きたてパンとコーヒーを 戦後は3代目で店名をドンクにした幸男氏が「本場のフランスパンを日本に」と仏に職人を派遣し、神戸の三宮本店に専用設備を設けて65年から提供。フランスパン用のおしゃれな袋も用意し支持を得た。作り方・売り方の両面作戦だ。
今も地域や店の独自商品などに知恵を絞る。今秋には神戸エリア限定で、フランスパン生地にりんごと鳴門金時イモを混ぜた商品が店頭に並ぶ。伝統の生地と秋の味覚のコラボレーションを、神戸で楽しめる。
神戸で培ったパンの良さを、次代や域外に伝える動きは広がりそうだ。
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「伝統を大事にしながら新しいスタイルを提案する」。異人館街近くに2010年に開業したサ・マーシュ(中央区)のシェフ、西川功晃さん(53)はいう。
今秋は、ブリオッシュのソフトな生地にハードな生地を練り合わせ、サツマイモやリンゴ酢を混ぜた新商品が人気になりそう。「素材はベーシック」(西川さん)だが、組み合わせの妙で、新しい食感と秋らしい味わいが口に広がる。
約100種類のパンを早朝3時から準備する同店は、パンの棚の前に店員が立ち、お客さんと会話して商品を選んでもらう売り方でも注目されている。「本物の良さをしっかり伝えたいから」(同)だ。
焼きたてが魅力のパンは神戸観光の目当ての一つになりうる。中央区では11月に1カ月間「パンのまち散歩」を開き、参加する47店舗を訪れた客に特典を提供するなど、神戸市も後押しする。「日本一のパン」は今後どう進化するだろうか。
神戸で最初のパンの店は開港翌年の欧州人経営の2件といわれる。「神戸市史」によると、日清・日露戦争の軍用パンの需要増などを契機に明治30年代以降に本格的にパン製造が始まった。
大正期は第1次世界大戦で捕虜になったりロシア革命から亡命したりした職人らがパンや洋菓子の店を開業。地元の藤井パンのカフェを含め、モロゾフなど洋風食文化の礎ができた。食文化が世界史と連動するのも港町・神戸の特徴。来年で開港150年。新しい動きが生まれるかも注目したい。
(神戸支局長 福田芳久)
[日本経済新聞夕刊2016年9月20日付]
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