帝都東京を中国革命で歩く 譚●美著
留学中の足跡で見直す近現代
先日、友人たちと神保町の中華料理屋で食事をする機会があった。食事中に知らされた。ここはかつて、周恩来が留学中に通った店なのだと。その瞬間、見慣れたはずの神保町の風景がまったく違って見え始めた。
本書は、中国建国の礎となった革命烈士や文学者たちの日本留学中の足跡をたどった紀行作品である。
中国革命の祖、孫文が日本に逃れ、日本人の有志から資金援助を受けながら革命を準備したことは有名な話だ。が、いたのは彼だけではない。1900年代初頭から20年代にかけて、日本には中国人留学生があふれ、最盛期の1905年には1万人近くがいたという。明治維新を成し遂げ、アジアでいち早く近代化を実現した日本から成功の秘訣を学ぼうというブームが起きたからだ。清国人専用の日本語学校だった東亜高等予備学校や清国留学生会館のあった神田界隈(かいわい)、本郷、そして早稲田界隈はさながら清国チャイナタウンの様相を呈していたという。
日本留学組の多彩な顔触れに、あらためて驚いた。蒋介石に周恩来、「戊戌(ぼじゅつ)の政変」で亡命を余儀なくされた梁啓超。中国共産党を作った陳独秀に李大●。文学組では魯迅に弟の周作人、郭沫若、郁達夫……。中国近現代史を彩るオールスターと言っても過言ではない。彼らが自分にもなじみ深い風景の中を歩いていたのだと想像するだけで、私は身が震えた。
中国の近現代史は非常に複雑で素人には理解が難しい。しかも日中両国が敵対関係となったこともあり、蜜月時代があったことを双方が認めにくい時期が長く続いた。非常にもったいないことだ。本書はそうした障壁をいったん取り払うため、見慣れた東京の地図に歴史上の人物の足取りを重ねる試みをした。
カリスマ性があって金集めのうまい孫文。そんな孫文に嫉妬する悲運の宋教仁。日本に最後までなじめなかった周恩来。入学条件を把握しないまま猪突(ちょとつ)猛進で日本に渡ってしまったおっちょこちょいの蒋介石。どこまでも弟思いの魯迅……。等身大の姿が浮かび上がり、だからこそまた、彼らが動かした歴史のすごみも伝わってくる。
本書が特別な輝きを放つのは、著者の譚●美氏にとって、革命の激動期に広東省から日本へ渡り、そのまま根を下ろした父親の歴史が彼らの足跡と交差するからだ。歴史が現代とつながり、歴史を動かした人物と個人の記憶が重なっていく。本書は豊饒(ほうじょう)な時空間の旅への最適なお伴(とも)となるだろう。
(ノンフィクション作家 星野 博美)
[日本経済新聞朝刊2016年9月4日付]
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