掠奪されたメソポタミア ローレンス・ロスフィールド著
文化遺産の災難から戦争見る
アメリカ流の自由は、19世紀イギリスの評論家マシュー・アーノルドが非難したビクトリア朝時代の流儀に通じる。それは、「好きなところに入り込み、好きなようにはやし立て、好きなように脅し、好きなように打ち壊す」という個人の権利尊重に他ならない。2003年4月のイラク国立博物館で起きた掠奪（りゃくだつ）事件も、無制限の自由を錯覚したイラク人の「悪」から始まった。これは、各地における歴史的遺物の強奪と密売の始まりでしかなかった。そもそも、歴史のない文明国家アメリカは、メソポタミア文明発祥地の遺物保護に無関心だったのである。
シカゴ大学で文明遺産の保存を強調してきた著者は、イラク戦争の失敗を文化遺産の災難から説き起こすことで、アメリカ人政治家と官僚の怠慢と、イラク人盗っ人の大胆不敵な仕事ぶりをリアルに描いている。
逆説的ながらイラクのフセインの方がよほど文化財保護に熱心であった。湾岸戦争の時にも、占領したクウェートの博物館が戦争の被害を受けないように、イラクとクウェートの専門職員は協力して、文化財をイラクに避難させた。戦後になると、イラクはリストに基づいて貴重な遺品をクウェートに返却したのである。イラク戦争になると、もはや政府や博物館の職員は身を守るのに精一杯であり、人気の高い楔（くさび）型文字の円筒印章などは窃盗される一方だった。
上質な印章1点に、ニューヨークの美術市場で42万4000ドルの値が付けられた事実は、アメリカ人はじめ国際的古美術商も略奪や盗掘に関係していたことを示す。著者は、イラクの考古遺産の行方があらかた不明であり、博物館はもはや遺物展示でなく、遺物幽閉の場所と変わり果てたとさめざめ嘆く。
遺物が外国のオークションに出されても取り戻せない状態が長く続いており、政府や国際機関もイラクの文化財救済に重きを置かない。著者は、残存遺産がすっかり破壊されるか、古美術商のギャラリーや金持ちの居間に姿を隠してしまうと悲観的である。アメリカ人の学者ならずとも、破壊の当事者の軍人と協力して、遺跡保存に当たる自家撞着（じかどうちゃく）に嫌気がさすだろう。
すべての学者が米軍の手先ではないか、とイラク人に疑われるのもぞっとしない話だ。しかも、2009年に原著が出版された時には「イスラム国」との内戦は起きていない。いま文化財保護のために斬首を覚悟する学者や市民は少ないだろう。文化遺産保護に寄せる著者の使命感と同時に、乾いたニヒリズムを感じるのは切ないことである。
（明治大学特任教授 山内 昌之）
［日本経済新聞朝刊2016年8月7日付］
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