自画像の思想史 木下長宏著
俳画のまなざし 精神を再評価
「自分とはなにか」と問いながら、自己の内面を隅々まで覗(のぞ)き込んで独白する。『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめとするテレビアニメでもお馴染(なじ)みの光景だが、実はこんなふうに自分を見つめるようになったのは比較的最近。西洋においては15世紀中葉以降、日本に至っては明治維新以降である。
つまり、自己の内面を仔細(しさい)に探るのは人類普遍の葛藤ではなく、科学技術の発達に伴う社会の変化が「探るべき内面」を生み出したと考えるべきであることを、この本は教えてくれる。自画像を切り口に自意識の変遷を辿(たど)る本書は、西ヨーロッパと日本列島の古代から現代までを論考の対象とした大著だ。
考察の軸となるのは西ヨーロッパの自画像で、著者はそれを「古代/自画像以前の時代」「近代/自画像の時代」「現代/自画像以降の時代」と3つに区分し、ラスコーの壁画から説き起こす。古代は「自己と他者との関係を測定する意識が育っていない」時代、近代は「他者との関係のなかで自己の位置を測定」し、「〈自己〉を証明するという確信をもって自画像を描く」時代、現代は〈自己〉を「客観的に保証する理論と方法を喪失し」、自画像それ自体の意味を問わざるを得ない時代と説く。
この分析をもとに日本列島の自画像を考察した章は、本書最大の読みどころだろう。とりわけ興味深いのは、江戸時代後半の自画像に触れた部分だ。この時期、俳謔(はいぎゃく)の精神を背景とする戯画化した自画像が数多く描かれる。白隠や良寛、与謝蕪村に代表されるそれは「俳画」と呼ばれるが、こうした表現は西ヨーロッパでも東アジアでもほとんど見られないという。
「〈自分〉を茶化(ちゃか)すということは、〈自分〉を〈他者〉の眼(め)で見るということであり」、自他の関係を「論理的分析的には徹底して追い詰めないが、しかし、きちんと〈他者〉として扱っていくという姿勢である」。そこでは遊びであるという心構えによって、「〈自分〉と〈他者=世界〉の関係のとりかたにいつも余裕が保たれる」。
こうした俳画系の眼差(まなざ)しは、自他を明確な対立構造で捉える欧米式の論理と相容(あいい)れず、明治以降急速に排除されていく。だが、自他の関係がかつてないほど不安定な現代にあっては、再び呼び戻すことが望まれると著者は言う。普遍的とも思われた近代のシステム(自由経済や資本主義など)が軋(きし)み始めた今、我々が切り捨てた近代以前の自意識を掘り起こした本書は、来るべき時代を探る際の参照軸となりそうだ。
(写真家 鷹野 隆大)
[日本経済新聞朝刊2016年7月31日付]
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