音の根源問う30代作曲家
サブカル・生命科学から発想
現代音楽の世界で30代の若手作曲家が存在感を増している。サブカルチャーや生命科学など異分野からも刺激を受けた斬新な楽曲づくりに意欲的に取り組み、音の根源に迫ろうとしている。
「私の興味は世の中のテクスチャー(質感)を音に変換することだ」。芥川作曲賞など数々の賞を受賞している若手作曲家、山根明季子(33)は力説する。29日には、東京・上野の東京文化会館で催される現代音楽作品を紹介する合唱団、ヴォクスマーナの公演で新曲が披露される。
タイトルは「お名前コレクションNo.02」。「固有名詞の質感」(山根)を音にした異色作だ。各歌手は曲に合わせて固有名詞を次々発する。楽譜はあるが、どんな言葉が使われるかは直前まで明かさない。「ある名詞を口に出すことで、各個人の感情の質感がにじみ出る」と山根は言う。
自身の楽曲を「ポップな毒性」と称し、異分野との共同作業にも積極的に取り組む。今年2月にはファッションブランド「ペイデフェ」と都電荒川線の車内でショーを開いた。自ら同ブランドの服に身を包み、電車の走行音や発車ベルの音も生かしながら、電子音で独自の音楽を展開した。
現代アートの影響
渋谷由香(34)もユニークな楽曲で注目される。現代音楽の巨匠ジョン・ケージに衝撃を受け、通常演奏で用いる平均律とは異なる「非平均律」の音に興味を持った。音楽の物語性ではなく、楽器や声から生まれる音そのものに着目。「瞬間的な音の微細な変化に目を向け、時間の流れを意識して作曲する」
山根と同じく、ヴォクスマーナの公演で、気鋭の現代詩人、佐峰存の詩集「対岸へと」を基にした新作「黒い森から」を発表する。「この詩は言葉と言葉の関係性に抽象性が感じられ、時間、空間のとらえ方が私に似ている」と渋谷は語る。
今の30代は幼い頃から家庭用ゲーム機やアニメ、マンガなどのサブカルチャーに囲まれていた。学生生活を送ったのはインターネットや携帯電話の普及で個人が入手できる情報量が急増した2000年前後。こうした世相は作曲家たちにも影響を与えており、山根はサブカル、渋谷は現代アートに刺激を受けたという。
世界の著名オーケストラや演奏家から多くの作品を委嘱され、この世代では頭一つ抜けた存在が藤倉大(39)だ。彼が関心を寄せるのは、ネットなどで情報を簡単に得られるようになった最先端の生命科学分野。科学誌や論文を読み込んで曲に反映させてきた。
スカイプを活用
6月、名古屋フィルハーモニー交響楽団の公演で演奏された自作曲を自ら編集し、アルバム「オーケストラル・ワークス『世界にあてた私の手紙』」を発表した。収録曲のうち「ミナ」は第1子の名前から取り、生命誕生の瞬間を表現した。昨年の尾高賞受賞作「レア・グラビティ」も羊水内の胎児をイメージ。「楽器も含め題材となる素材は徹底研究する。僕の作曲手法は科学に近い」と語る。
作曲手法も現代ならではだ。国内外の楽器奏者とスマートフォンや無料通話ソフト「スカイプ」でやりとりしながら作曲する。世界的チェロ奏者、ジャン=ギアン・ケラスが6月に東京公演で初演した新作「osm」も友人のチェロ奏者とのスカイプから生まれた。
14年の武満徹作曲賞受賞者の大胡恵(36)は、東京芸術大在学中、映画好きが高じ映像制作会社でカメラマンを経験した。大学卒業後は数年間、邦楽器の研究に没頭し、音の特質を浮き彫りにする作曲手法を編み出した。
NHK交響楽団の委嘱で作曲し、6月末に初演された新作「『何を育てているの?』『白いヒヤシンス』」は、アラブ音楽の旋律「マカーム」がモチーフ。「視点の遠近をコントロールするカメラマンの経験も生きている」と大胡は話す。
現代音楽の大家で作曲家の一柳慧は現代作曲家の役割について、「優れた演奏家と新しい音楽文化を作り上げれば、閉塞感を克服して社会を前に進めさせられる」と語る。氾濫する情報をえりすぐり、換骨奪胎して音の根源に迫る。そんな30代の柔軟な発想が新たな音楽の地平を開きそうだ。
(文化部 岩崎貴行)
[日本経済新聞夕刊2016年7月11日付]
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