金持ちは、なぜ高いところに住むのか アンドレアス・ベルナルト著
エレベーターと空間イメージ
エレベーター装置という小さな接眼レンズを通して、時代思潮という巨大な星座を観測する。これが本書の狙いである。そして、それに本書は成功している。
舞台は、1860年代から20世紀中葉にかけての、ベルリンとニューヨーク。
エレベーターの技術的変遷を、時系列に沿ってたんねんに追っている。それでいて、けっして狭義の技術史では終わらせない。著者が分析の俎上(そじょう)にのせるのは、エレベーターについて報告しているものならば、ときに医学書や衛生学指南ガイドブック、ときに科学記事や行政文書、あるいは小説や映画作品。それこそ多岐にわたる表象現象である。
その時代、なぜその改良が必要とされたのか? 昇降する密室により、誰が上層階に住むことができるようになったのか?エレベーターの登場によって、都市型住人の空間感覚がどのように変わったのか?
こうした具体的なエピソードを起点にして、都市空間と高層建築と人びとの暮らしとの間に形成されてきた、さまざまなイメージ世界のもつれた糸を、解きほぐす。
例えば19世紀、上層階に住むのは貧民層と相場が決まっていた。長い階段は労苦だったからだ。その分家賃も安かった。ところが、集合住宅にエレベーターが設置されるや、事態は劇的に変わった。1920年代になると、上層階ほど賃貸料が高くなっていった。高層空間をめぐる社会的評価が逆転したのだ。その結果、富裕層の住居や会社の重役室ほど、より上層階に設置されるようになる。
上層階とは社会的成功者の象徴だ。空間的上位は社会的上位にこそ相応(ふさわ)しい。このような、いまや凡庸な通念と化した構図も、ひとつの機械装置が仕掛けた表象的文脈からできている。
これはほんの一例にすぎない。著者は、ほかにも都市化が生んだ諸現象に言及している。
すなわち家族制度の分節化、都市発展の水平方向から垂直方向への転換、窓からの眺望の政治性とその権力構造、近代衛生学のパラダイムシフト、社会心理学的な閉所恐怖症などなど。なにも遠い昔の話ではない。現在もなお、人びとをがんじがらめにしている都市表象の根本構造を、敢(あ)えてエレベーターという微視的テーマを立てることで、明瞭にあぶりだす。まさに一点突破、全面展開。
著者が見せてくれる、「近代」という星座は明瞭である。
(早稲田大学教授 原 克)
[日本経済新聞朝刊2016年7月10日付]
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