蔡英文 新時代の台湾へ 蔡英文著
民間や若者の力で発展目指す
中国が世界第二の経済大国となり、国際的に影響力を増す一方で、台湾は自己の位置を模索し続けている。中国との「サービス貿易協定」をめぐる審議の強行採決に反対し、台湾の学生たちが民主化運動を展開したことは記憶に新しい。
台湾初の女性総統に就任した蔡英文による本書には、台湾の未来を切り開く使命を背負った蔡の覚悟が表れている。なかでも私は、彼女が提起する経済モデルの転換、次世代の育成、多元的な価値の受容、過去の清算に関心を持った。これらは、日本を含む世界の国や地域が共通して直面する課題でもある。
蔡は内需を拡大し、イノベーションで経済を発展させるべきだと主張する。中国での委託加工や中国資本の導入は、一部の台湾企業を潤わせた。しかし、中国に過度に依存する経済モデルは、台湾社会を豊かにしたのか。所得格差が拡大し、不動産価格は高騰している。急激な高齢化で年金財政は火の車だ。
北京やワシントンの「大国の視点」が「台湾の進むべき道の邪魔をしていた」と蔡は考える。小さい国でも心意気のあるイスラエルやデンマークを参考に、兵役の経験を生かしたリーダーの育成や国防と科学技術の結合、市場開放か保護の二者択一ではなく、モデルチェンジを支援する経済政策を展望する。
「誰もが参加できる設計やデザインのプロセスが好きだ」という蔡は、未来に挑戦する青年の起業を助け、自然や原住民の文化を守り、一体化やシステム化で失った多元性を取り戻すべきだとも述べる。
さらに蔡は、公平と正義を守ろうとする「知識を備えた反逆者」こそが、国家に望みを与えるとして、独立・主体型の社会運動を歓迎する。政治のベンチャーサポートで、若手政治家が育っていることにも胸を張る。
蔡の狙いは、民の力で政治と経済のバランスをとることだ。社会が自発的に責任を負うようになれば、台湾は沈まない。台湾の真の力は民間にあると説く。
しかし、国際政治の圧力に晒(さら)され、経済的にも自立を保つのが難しい台湾が、新しい社会的価値を生み出すことができるのか。「移行期の正義」として、蔡政権が進めようとしている原住民族や二・二八事件の被害者への謝罪や補償は、台湾内部にさらなる対立を生むことにはならないか。
中国との関係において論じられることの多い台湾だが、台湾は民主主義の可能性を試す場としてこそ、注目されるべきだと強く感じた。
(東京大学准教授 阿古 智子)
[日本経済新聞朝刊2016年7月10日付]
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