兵士のアイドル 押田信子著
慰問雑誌から見える若者の姿
かつて慰問雑誌というものが存在したことは知っていた。戦時中、前線で戦う兵士たちのために作られた娯楽雑誌である。だがそのグラビアが、現在のアイドル雑誌さながらのポートレートで埋め尽くされていたことは知らなかった。
本書が主として取り上げる慰問雑誌『戦線文庫』に登場するのは、原節子、田中絹代、高峰三枝子、李香蘭といったスターたち。日中戦争下にあった1938年の創刊号のグラビアが紹介されているが、ロングドレスに着物と服装は華やかで、かなり煽情(せんじょう)的なポーズの写真もある。これが戦時下の雑誌かと驚いた。
この『戦線文庫』は海軍の肝煎りで生まれた雑誌で、軍部が監修し、一括して買い上げていたと知って再度驚いた。制作費は国民からの慰問金である恤兵(じゅっぺい)金から拠出されていたという。
『戦線文庫』とともに部数と内容の充実度で群を抜いていたのが、一年遅れで創刊された陸軍慰問雑誌『陣中倶楽部(くらぶ)』である。本書はこの二誌を詳細に読み解きながら、国家が国民を動員する手段として、女性たちの美や性的魅力をどのように利用したかを明らかにしていく。女優や歌手だけでなく、ルポや小説、座談会などで雑誌に登場する女性作家にも「美」が求められたという指摘(美貌だった真杉静枝は海軍に重用され特別な待遇を受けていた)も興味深い。
一方で、慰問雑誌の背景にあった恤兵金に注目し、陸海軍の恤兵部が大衆の支持を得るために銃後で行っていた文化動員についても、これまでになかった視点から考察している。
終戦と同時にこの二誌は消え失(う)せ、国会図書館にも保存されていないという。それを掘り起こして分析したことは、戦時のメディア研究の空白部分を埋める意義があるが、それ以前に読み物としても魅力的である。
国策に利用されたアイドルたちではあるが、では兵士たちとの心の交流が偽りだったかというとそうではない。彼女たちは誌上に慰問文を書き、戦場からは熱烈な便りが届いた。誌面はアイドルと兵士が交流するメディア空間だったのだ。
死を覚悟した前線の兵士からブロマイドが送られてきたという高峰秀子の話が紹介されている。ずっと胸ポケットに入れていたが、ともに戦場で散らすのは忍びないので送り返すとの手紙が添えられていたそうだ。豊富なエピソードのひとつひとつから、戦争の時代を生きた若者たちの貌(かお)が見えてくる。
(ノンフィクション作家 梯 久美子)
[日本経済新聞朝刊2016年7月10日付]
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