ジニのパズル 崔実著
少女の日常に介入する「政治」
ジニが、胸に居着いて離れない。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで以来、ホールデン・コールフィールドが居座っている場所の真横に、ジニが膝を抱えて座り込んだ。
小説の冒頭は、オレゴン州の高校の教室だ。あきらかにそこに居場所のない女の子ジニは、この日、退学勧告を受ける。校長がジニに与えたのは、考えるための3日間の猶予だった。
ジニは、ノートブックに「記憶の断片」を綴(つづ)る。「学校――あるいはこの世界からたらい回しにされたように、東京、ハワイ州、そしてオレゴン州と巡りめぐって来た」少女の記憶だ。
パク・ジニは、日本で生まれ、小学校までは日本名で日本の学校に通い、中学1年生で十条の朝鮮学校に編入した。6年生になるまでは、楽しくやっていたのだった。「歴史」の授業にぶち当たるまでは。「歴史」がクラスメイトとジニの間に線を引き、ジニにとっての学校が変質する。
朝鮮学校では、ジニはクラスでただひとり、朝鮮語のうまくしゃべれない生徒だった。慣れるまではということで、クラスの公用語はジニのために日本語になる。最悪の事態だ。ジニはここでも浮き上がった。
北朝鮮が「テポドン」を打ち上げた翌日、ジニはいつものようにチマ・チョゴリを着て出かけた。けれど学校のある駅で降りそびれ、そのままサボって池袋で時間つぶしをする羽目になる。そして、事件が起きる。いわれのない暴力に、ジニはさらされる。
ジニの日常に「歴史」が「政治」が介入する。「金日成と金正日」が介入する。「憎しみ」が介入する。解けない矛盾を山のように抱えて、ジニは暴走する。
ジニはいつもたったひとりだ。朝鮮学校でも、ハワイでも、オレゴンでも。ジニの深すぎる孤独に打ちのめされる。それでいて、ふと思い出す。13歳、14歳だったころ、いかに自分が孤独でとげとげしく、世界中を敵に回して、闘っているような気持ちだったかを。
小説とは、作者の目にのみ映る、他人には理解されにくい世界のありようを、言葉に書きつけて読者に送るものである以上、ジニの世界は生まれるべくして小説になったというほかはない。その世界を受け取った読者は、ジニとジニの解けないパズルごと、胸の奥に抱きとめる。私たちは落ちてきたジニを受け入れ、彼女がドラゴンを見つけたことを祝福し、これから先の生を、ジニの問いへの答えを探しながら生きるのだ。
傑作。間違いなく。第155回芥川賞候補作品。
(作家 中島 京子)
[日本経済新聞朝刊2016年7月10日付]
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