生々しく共感生む きもかわいい自画像で世界へ
現代美術家・松井えり菜さん
大きめのカンバスの画面いっぱいに若い女性の顔。いわゆる「変顔」と呼ばれる人を食った表情を浮かべ、ときに細胞分裂のように顔が不気味に分裂する。見る者にえも言われぬ生々しい生理感覚を喚起させるのは、その顔に肌の荒れやくすみ、唇の乾き、鼻の小じわや吹き出ものまでをリアルに描いているからだ。
一度見たら忘れられない、見るとクセになる「きもかわいい」肖像画で知られる美術家。少々露悪趣味のこれらの顔は、すべて本人の自画像だ。鹿児島霧島アートの森で15日から始まる個展「松井えり菜展 顔の惑星」(9月19日まで)では、強烈なインパクトを放つ作品が多数並ぶ。
クローズアップの大型自画像を初めて描いたのは19歳のころ。「一つ何かを極めようと思ったとき、一番知っていて、遠慮なしに描けるのが自分の顔だった」と振り返る。通っていた美大予備校の文化祭で発表したところ、「友人の笑い、共感が得られた」と手応えを感じ、入り込んだ。
個性的でユニークな絵画は、美大入学後、突然脚光を浴びる。村上隆主催の現代美術の祭典「GEISAI#6」(2004年)で作品が金賞を獲得。フランスのカルティエ現代美術財団が作品を買い上げ、翌年には同財団主催のパリのグループ展に出展。20歳でいきなり世界デビューを果たす。当時はアートの"青田買い"が盛んだったこともあり、「プロとしての自覚がないまま」作品が売れた。
以来10年余り、テーマを変えながら自分の顔を描いてきた。中華料理の皿を前に変顔する初期の「えびちり大好き」。海苔(のり)がついた歯を鍵盤に見立てた「ピアノコンチェルト」。宇宙空間をバックにマンモスを大口開けて食べようとする「食物連鎖 Star Wars!」等々。
巨大な新作「顔の惑星~リンカネーション!!!~」は、熊、ゴリラ、亀、豚、コアラ、そして自身の似姿として愛着を持つウーパールーパーなど多くの動物が作家の顔を中心に宇宙空間に同心円状に並ぶ、輪廻(りんね)がテーマの作品。「輪廻転生の受け皿となる動物たちがいなくなったら魂はどこに行ってしまうんだろう、という顔を描いた。環境問題を地味に込めた作品」と説明する。
日常のささいな笑いから、より大きなスケールの作品まで、すべてが画題になる。キーワードは「共感」だ。「私がリアリティーを感じるのは戦争や原発反対ではなく、日々の生活から透ける感情であり、それらが他者に共感されることが大切。自画像はそういう私という人間の考えを見せるフィルターのようなもの」という。これらの自画像が何年分も蓄積されることで「作品はその時々で私がどこにいたか、どんなことを考えたかを記録する日記にもなる」のだそうだ。
孤独な創作を続ける画家を、作品は外に連れ出し、様々な人との出会いを演出してくれる。「そういう意味では、絵画はドアだと思う」とも。「もっと人を笑わせたい。もっと人にほめられたい。見る人の感情が出てくるのを見てみたい」。自画像というコミュニケーションツールを通してつながりを模索している。
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人は人の顔 じっと見たい
自画像で描くゆがんだ表情とは裏腹に、描くことにはまっすぐだ。実力もある。動物の毛並みから宇宙空間まで、マチエール(素材感)を描き分ける技量は高く、それが作家の遊び心を支えている。決して奇抜さと運だけで今の地位があるわけではない。
そのまっすぐさゆえに、若くして売れっ子となった当初は、とまどいもあったようだ。「実物も見ないで画題リストだけで作品が売れ、描いたそばからなくなる。自分の子供が消費されているようだった」と振り返る。マイペースを取り戻すため、フィンランドに短期留学もした。
きもかわいい変顔のあっけらかんとした表層を一枚はがせば、人と人との確かなつながりを求める作家の叫びが隠されている。それが見る人の心に訴えると考えるのはうがち過ぎか。コミュニケーションが希薄な現代、人は人の顔をじっと見たいのだ。うそで塗り固めた美白の顔ではなく、しわとくすみとたるみだらけの素顔を。
(文化部 富田律之)
[日本経済新聞夕刊2016年7月6日付]
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