高坂正堯と戦後日本 五百旗頭真、中西寛編
視野の広さ 懐の深さ浮き彫り
人には機会があれば繙(ひもと)く座右の書があるもので、国際政治学・外交史の研究者はもちろん、多くの人は故高坂正堯の本に手をのばし、昨今の流動的な国際政治を理解するヒント、示唆を求めることがあるのではないだろうか。何か国際的な事件に遭遇するたびに、高坂であれば何と言うであろうと思うのは、私だけではあるまい。
1963年にまだ20歳代で論壇にデビューして以来、日本外交を変える影響力を確実に発揮し、学界に大きな足跡を残した高坂が亡くなって20年。幸いわれわれは彼の8巻に及ぶ著作集によってその豊穣(ほうじょう)な業績を知ることができるが、今回、学者高坂のみならず人間高坂の魅力を改めて浮き彫りにする書物が刊行された。
そこでは高坂の多彩な経歴を物語るように、高坂の師(猪木正道)の子である猪木武徳、留学先のハーバード大学で近所づきあいのあった入江昭、テレビ報道番組で共演した田原総一朗による極めてパーソナルな回顧談に加え、戦後日本政治と高坂(五百旗頭真)、外交史家、国際政治学者、社会科学者としての高坂(それぞれ細谷雄一、苅部直、待鳥聡史)、高坂の中国論(森田吉彦)とアメリカ観(簑原俊洋)、さらには戦後メディア史における高坂の役割(武田徹)、高坂の日本外交論(中西寛)について考察がなされ、多角的・多面的にこの類い希(まれ)な人物に接近する。本書は高坂を単なる現実主義者として括(くく)ることができない、視野が広く、懐の深い学者であったことを明快に示す。
没後20年を経て、高坂の政治学を再検討する学会報告、学術論文が次々と現れ、彼の著作の復刊が続いている。高坂に対する知的関心に衰えがないことは特筆すべきであろう。それは彼の知的遺産の大きさとともに、その早すぎる死がもたらした喪失の程度を物語っている。
高坂の活躍は実に多岐にわたっており、その業績を簡単にまとめることはできないが、歴史の洞察に裏打ちされた深い見識はもちろん、異なる意見に対して敬意を失うことなく、また声を荒らげることもなく、晦渋(かいじゅう)を避けた平明な文章で議論を展開する品格が印象的であった。高坂の主張に信頼感を与えていた重要な要因である。
本書を通読すると、高坂を戦後日本を代表する知識人として位置づけるのではなく、むしろ明治以降の近代日本、あるいは20世紀世界の知性史という、より大きな枠組みで理解することが適切のように思える。今後もわれわれと高坂との知的対話・格闘は続きそうである。
(立教大学教授 佐々木 卓也)
[日本経済新聞朝刊2016年7月3日付]
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