京城のモダンガール 徐智瑛著
幅広い層の女性から都市考察
昭和初期のモダンガールといえば、小説家菊池寛の個人秘書を務め、大宅壮一に「ステッキガール」(男性が連れ歩く若い女性の意)と揶揄(やゆ)された佐藤碧子らが、その典型だろう。「モダン日本」編集長馬(マ)海松(ヘソン)の恋人でもあった佐藤は、1930年代の初め頃、断髪、洋装、ストッキングにハイヒールでさっそうと銀座を歩き、雑誌のグラビアを飾った。
そしてモダンガールと呼ばれる若い女性たちは、ほどなく、日本の植民地支配下にあった京城(現在のソウル)にも出現する。『京城のモダンガール』は、従来、男性の視点から表面的に描かれ、実態が明らかでなかった朝鮮のモダンガールや、近代化の進んだ京城の都市空間を、フェミニズムの視点から再構成した最新の研究書だ。
1910年代の日本に平塚らいてうをはじめとする「新しい女」が出現したように、朝鮮でも、旧来の道徳を否定し新しい生き方を志向する「新(シン)女性(ヨソン)」が、20年頃から雑誌などを舞台に活躍していた。初期の新女性は多くの場合、富裕な家庭に生まれ、高い教養を身に着けたエリートであり、大衆を啓蒙する役割を自らに課していた。だが、やがて新女性という言葉の意味は拡大し、モダンガールとも重なりあうようになる。
最新のファッションに大きな関心を払った30年代京城のモダンガールの多くは中下層の出身で、教養の程度もさまざまだった。本書では、女学生や、百貨店の店員、電話交換手、バスの車掌などの新しい職業に従事した女性たちだけでなく、女工、乳母、食母(シンモ)(家事使用人)といった人々をも考察対象とした点が注目される。伝統文化の担い手であるはずの妓生(キーセン)の中からも洋装をしてジャズを歌う「ジャズ妓生」が現れ、カフェの女給に転身していった話などは興味深い。
京城のモダンガールは、古い価値観を持つ人々だけでなくプロレタリア文学の作家からも、退廃的であると断罪された。女給であれバスの車掌であれ、若い女性という理由で注目されたモダンガールは、男性の欲望に満ちた視線によって消費される対象であったに違いない。
しかし彼女たちは資本主義の支配する都市空間に自ら果敢に飛び込んで自由恋愛の成就を試み、物質的な欲望を満たそうと流行の商品を購入する消費者でもあった。モダンガールのそれぞれが歴史の主体として、時代の流れをつくっていたという見方もできるだろう。論文調の文体は必ずしも読みやすくはないが、いろいろと新しい発見をさせてくれる書物だ。
(翻訳家 吉川 凪)
[日本経済新聞朝刊2016年6月26日付]
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