クロコダイル路地(1、2) 皆川博子著
軽快で豪勢な伝奇的冒険物語
皆川博子さんの小説のなかで、世界史に材をとった一連の作品は、冒険やアクションといった派手な題材を縫い合わせ、登場人物たちの骨がらみの対立図式や煽情(せんじょう)的な着想を西洋史に埋めこんでいきながら、下品にならない。こういう小説を書ける人が、いまの日本には皆川さんのほかにいない。
本作『クロコダイル路地』は、恐怖政治にともなう暴力、泥沼化する戦、激情にみちびかれた復讐(ふくしゅう)劇、といった暗鬱な話題を満載しながら、意外に軽快なスピード感で読ませる。文章は乾いて引き締まり、むしろ飾りを剥ぎ取ってそっけないくらいだ。
第1巻は、フランス西部、ロワール川が流れる貿易都市ナントを中心に展開し、フランス革命の前夜、1788年からはじまる。第2巻は海峡を越えて舞台の中心を大英帝国の王都ロンドンに移し、物語はナポレオン戴冠の時代へと続いてゆく。
ナントの豪商の息子で英仏混血のロレンス・テンプル、その従兄弟(いとこ)(帯剣貴族フランソワ)の従者ピエール・ドゥミ、ナントのドックで働く貧しい少年ジャン=マリ・ルーシェとその妹コレット、という4人の登場人物が、この緩急自在な物語の軸となっている。近代の混乱する国際情勢を背景に展開するのは、英仏海峡を挟んだ伝奇的冒険物語であり、同時に不可解な死をめぐるミステリでもある。
革命期を舞台とし、英仏両国にまたがる波瀾(はらん)に富んだ物語ということで、最初はディケンズの『二都物語』(1859年)を想起しながら読んでいたところ、サー・パーシー・ブレイクニーなる人物が登場して、ページを二度見してしまった。
第1巻冒頭の登場人物一覧でその名を見て、どこかで聞いた名前だと思っていたが、恐怖政治時代を舞台とし、宝塚歌劇団の演目にも取り上げられたバロネス・オルツィの冒険ロマンス『紅はこべ』(1905年)の、重要登場人物ではないか。
第2巻では、作者の本格ミステリ大賞受賞作『開かせていただき光栄です』の登場人物が姿をあらわし、謎解き探偵小説の要素が加わってくる。
悲哀と希望とがないまぜとなった結末は、アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』(1731年)やドストエフスキーの『罪と罰』(1866年)、トルストイの『復活』(1899年)といったセンセーショナルな作品の着地を思わせるが、読了後にほっと一息ついて想起したのは、久生十蘭の西洋講談だった。豪勢なもてなしを受けた気分が読後しばらく続いた。
(文筆家 千野 帽子)
[日本経済新聞朝刊2016年6月26日付]
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