台湾人形劇で武侠ファンタジー 脚本家・虚淵玄さん
匠の操る世界 日本と融合
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」でファンタジーの新境地を開き、ゲームのシナリオでも熱心なファンを持つ脚本家。次に挑んだのは、日本のポップカルチャーと台湾の人形劇「布袋(ほてい)劇」を融合させた武侠(ぶきょう)ファンタジーだ。あらゆるものがデジタルへと向かう今「アナログのすさまじい匠(たくみ)の世界を見せたい」と語る。
発端は2年前。初めて台湾を訪れ、偶然出向いたのが布袋劇の映像作品を長年制作してきた霹靂(へきれき)社(霹靂国際多媒体)のイベントだった。華麗な衣装をまとった、一抱えもあるほどの大きく美しい人形が並び、人形師が巧みに操り命を吹き込む。「まず人形の造形に驚き、次に実演で動きの素早さに目を奪われた。全くの未知の世界だった」。霹靂社の作品を収録したDVDボックスを買いこみ、抑えきれない興奮を日本にいる仕事仲間に伝えた。
17世紀ごろ中国で生まれ、台湾に広がった布袋劇は現地で独自の発展を遂げた。「三国志演義」などの物語を野外や屋内で上演する大衆娯楽として根付いていたが、1970年代にかけてテレビが普及するとショーアップしたテレビ布袋劇が登場。大ブームを巻き起こし、今なお高い人気を誇る。布袋劇を伝承してきた一家が興した霹靂社は、人形作りの工房を持ち、脚本から撮影まで一貫制作する台湾を代表する人形劇スタジオだ。
視覚効果を駆使した映像と土煙が舞う迫真のアクション、宇宙やサイボーグまで登場する変幻自在な世界観。「なぜ日本で注目されていないのか。台湾だけに閉じ込めておくのはもったいないと感じた」
テレビシリーズ「サンダーボルトファンタジー東離劍遊紀(とうりけんゆうき)」では原案・脚本・総監修を務める。人形のキャラクターデザインは虚淵氏が所属する会社が手がけ、日本のフィギュアメーカーが造形アドバイザーを、霹靂社が操演と撮影を担当した。
無双の力を発揮する武器を巡る攻防を描いた物語は、黒澤明監督の「七人の侍」に触発されて執筆した。「個性的なキャラクターが登場する活劇にしたかった。僕にとって時代劇といえばチャンバラであり、人形師の芸術性が際立つのも殺陣。中華風の味付けをした無国籍な剣と魔法の物語を目指した」という。
布袋劇は1人の弁士が台湾語による独特の節回しですべてのキャラクターを演じ分ける。「弁士の声を聞き、その感情を受け止めて人形師は操る。いわば弁士の声は映像作りのインスピレーションの根源」。そのため日本語の脚本はまず中国語に翻訳、弁士が台湾語で演じ、人形師は弁士の声を聞きながら人形を操り撮影。日本版はその映像を見て鳥海浩輔、諏訪部順一ら声優がふきかえた。
「15年の修業が必要という布袋劇は匠の世界で、代替がきかない唯一無二のもの。敷居を低くして日本人と布袋劇の橋渡しになりたい」と語る。「自分がびっくりしたり興奮したりすることが僕の行動の源泉。情報化が進んでも、まだどこかに驚きは転がっている」。7月8日から東京MX、BS11、アニメ専門チャンネルのAT-Xで毎週金曜夜に放送する。台湾での放送も決まった。
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挫折の経験 作風に反映
ワープロが世の中に登場した頃、キーボードに向かって「書いてみたら意外と(自分は)文章を書ける」と気づいた。「悪筆を技術革新が補ってくれた」と振り返る。
好きだった作家スティーブン・キングのような作品を書いてみたいと小説の執筆を始め、「大学の4年間で投稿した作品でデビューできれば小説家になろう、と時間制限を設けた」。だが大学時代にその機会は訪れず、出版物の校正、ホームページ作成などの仕事を経て現在所属する会社の社長と出会い、ゲームの企画に参加を請われた。「順調に小説家になっていたら、今のようにSFやファンタジー作品を書けたかどうか。挫折したからこそ今がある」と語る。
アクションと娯楽性を追求してきた。アクションの痛快さに覚醒したのはジョン・ウー監督の香港ノワール映画を見てから。「荒唐無稽で良しとする開き直りとスタイル優先で作品を完成させる力業。影響は大きい」という。
(文化部 関原のり子)
[日本経済新聞夕刊2016年6月15日付]
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