働くことの哲学 ラース・スヴェンセン著
労働の意味の劇的変化を考察
今日の社会において、働くことはどのような意味を持っているのだろうか。著者のスヴェンセンによれば、労働とは苦しいものであって、なぜそんな苦しいことをするのかといえばそれは余暇を得るためだという考え方と、いったん天職を得たならばその天職のなかにこそ生きる意味が見いだされるのだという考え方が、古代より現代に至るまで存在してきた。そして今日、労働によってこそ「自分らしさ」を発見できるとする考え方が出現してきた。スヴェンセンはこれを「天職という観念のロマン主義的変形」と呼ぶ。
そして現代の組織管理学は、労働者のこのような「自分探し」の傾向をうまく利用して、彼らを内面から調教し、彼らの「自分探し」が企業の利益追求とぴったり調和するように誘導しようとしている。しかしながら、そのような管理で現代人をコントロールしきるのは無理だろうとスヴェンセンは考えている。というのも、北欧のような社会では、労働者は自分に合った職を見つけるために次々と転職するのが普通のことだからである。すなわち、労働者は、自分にとって意味のある仕事を追求するために企業を渡り歩き、そうすることによっていわば「仕事を消費している」とすらいえる状況になっているからである。すなわち生産プロセスである仕事それ自体が、労働者の消費の対象となっているのだ。
スヴェンセンは、仕事を通じての自己形成というスタイルに大きな可能性を見いだしている。宝くじに当たった人であっても、たいがいの場合、仕事をやめることはない。というのも、仕事こそが、私たちの人生に意味を与えてくれる根本的なものであるし、仕事は私たちにとってたんなる収入の手段ではなく、私たちの実存的欲求をかなえてくれるものだからだ。
スヴェンセンは、現代において、仕事の意味が劇的に変容していると指摘する。だが同じような診断を日本社会において下すことができるのだろうか。北欧とは違って、日本では社会保障の仕組みがまだ整っていない。日本でもし転職に失敗したときには、大きなリスクが待ち受けている。ブラック企業で身を粉にして働かざるを得ない若者や、年金だけでは暮らしていけず老後破産するケースなど、仕事をめぐる日本の現状はけっして明るいものではない。本書を読み進むにつれ、彼我の格差が身にしみてくる。現代日本の労働環境に何が欠けているのかを新たな視点で考えるために、本書は大いに役立つであろう。
(哲学者 森岡 正博)
[日本経済新聞朝刊2016年6月12日付]
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