研究不正 黒木登志夫著
国内外の事例から構造問題を解説
STAP細胞事件は、学術界にそして社会に巨大な爪あとを残して終結した。たった2本の論文で。もちろん本数の問題ではない。不正や間違いのために撤回される論文は後をたたないが、不名誉なことに、世界でもっとも多くの撤回論文数をもつのは日本の麻酔科医である。19年間にわたり183本もの捏造(ねつぞう)論文を書き続けた。残念ながら日本は科学技術の成果のみならず不正においても、世界において目立つ存在になってしまった。
研究不正はどのような人物によって、なぜ起こるのか。本書は代表的な42事例を、著者の目を通して紹介し、その後に構造的な問題も整理・紹介をしている良書である。また、一部オリジナルな解析があり、「富は一部の人に集中する」という例と同じように撤回論文5回以上の研究者が撤回論文の19%を占めていることを報告している。
著者は学会長や学長として、長年、研究者集団を率いてきた。文章に、その重みと迫力を感じる。本書の多くは他で紹介された事例の総説であるが、著者の研究者としての解説も興味深い。たとえば生命科学においては電気泳動という基礎技術が不正の温床になる。DNA、RNAタンパク質の分析に欠かせないが、黒いバンドが映った結果画像は操作しやすく、弱い心がつけこまれやすい。
なるほど、と思ったのは若い研究者が不正をする「ボトムアップ型」と、ボスが部下に望むデータを出させる「トップダウン型」に分けている点。STAP細胞事件で若い研究者が注目されたが、ボスによる不正も深刻だ。
社会的にも注目される大きな不正事件が続き、大学では不正防止教育が重要な課題となった。私も大学部局の約2000人の学生に必修化するにあたり、教授会メンバーと議論を重ね共通教材を作成した。著者も指摘するように数学、あるいは物理の大型実験などは内容・構造的に不正が起こりにくく、論文の著者順も寄与順ではなくABC順だ。他分野のスタイルを学ぶことは有用かもしれない。
本書で強く共感したのはまえがきおよび本文の冒頭部分である。研究不正が続いているにもかかわらず、日本の子どもたちは科学者を信頼し将来つきたい職業にあげている。研究者は信頼にこたえなければならない。東日本大震災に関連する分野の研究者の信頼は落ち、それに対して対応もできていないのに、今度は「研究者村」さえも溶解する歯がゆさ。著者と同様に本書が不正の防止に役立つことを心から願っている。
(東京大学准教授 横山 広美)
[日本経済新聞朝刊2016年6月12日付]
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