AIピアノと人間が合奏 巨匠の演奏、再現へ第一歩

著名音楽家の演奏データを組み込んだAI(人工知能)ピアノが人間との合奏をめざす画期的な取り組みが始まった。AIがヒトの演奏水準にどこまで迫れるか。最前線を追った。
19日夜、東京芸術大(東京・台東)の音楽ホール「奏楽堂」には、普段の演奏会とは異なる、ぴりぴりとした雰囲気が漂っていた。ヤマハが開発したAIによる自動演奏システムを搭載したグランドピアノと人間が共演する公演「音舞の調べ」が開かれるからだ。
AIピアノと共演するのは世界屈指のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の現役奏者4人(バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)。共演曲であるシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」(第4、5楽章)が始まると、大舞台に慣れたメンバーにも緊張が走った。
AIは、マイクで4人の音やリズムを拾い、奏者の前に取り付けられたカメラで腕の微妙な動きなどを察知。人間に呼吸を合わせてシューベルトらしい美しい旋律を弾く。第5楽章の冒頭部分では4人と同時に出す音のタイミングがぴったり合った。
観客からは歓声
人間と比べて音が硬い印象は否めず緩急の差が大きい小節でテンポがずれるなどの小ミスもあったが、AIが約20分の演目を演奏しきると、観客からは大きなどよめきと歓声が上がった。開発を主導したヤマハの田邑元一・第1研究開発部長は「AIと人間の共演の第一歩としてはいい演奏だった」と語る。

今回のAIには20世紀のピアノの巨匠スヴァトスラフ・リヒテル(1915~97年)の演奏データが搭載された。80年代の「鱒」の名演の音の強弱、フレーズ表現をできる限り正確に再現。これをもとに、AIが音や奏者の映像を読み取り、人間とアンサンブルする仕組みだ。
AIは、囲碁で世界トップ級の韓国人プロを破ったり日本国内の公募形式の文学賞で1次審査を突破したりするなど、文化芸術分野でも存在感を増す。音楽の世界では主に作曲分野でAIの活用が試みられてきたが、高い創造性が求められるだけに人間に肉薄する成果は上がっていなかった。
そこでヤマハと多くの音楽家を生んできた東京芸大が組み、人間の演奏に合わせられるAIの開発に乗り出すことにした。東京芸大副学長で作曲家の松下功は「これまでAI研究は工学系大学が中心だったが、音楽を奏でるのは人間。音楽家主体の演奏システムを目指したい」と話す。
ベルリンフィルの関心も高かった。松下が友人であるコントラバス奏者、ペーター・リーゲルバウアーに今回の試みを打診すると、初めは驚きを隠せない様子だったものの、すぐに快諾の返事が届いた。リーゲルバウアー率いる室内楽グループ「シャルーンアンサンブル」が共演することになり、4月にはベルリンでAIピアノとのリハーサルや打ち合わせが行われた。
瞬発力など課題
東京での公演前日も、AIに人間の細かな動きを読み取らせるだけでなく、メンバーの演奏の特徴を直前まで覚え込ませた。初めはなかなかタイミングが合わなかったAIピアノと4人の呼吸は、練習を重ねるにつれ改善されていった。
AI演奏は音楽の世界に何をもたらすのか。「これまで実現しなかった伝説の音楽家と現代の演奏家の共演も可能になり、新たな芸術が生まれる」と松下は期待を寄せる。今回のメンバーはリヒテルと共演したことがなく、「時空を超えた初共演」(松下)が実現。現代の名門楽団とAIがピアノ協奏曲で共演することも夢物語ではない。
ただ、AIが巨匠の演奏に近づけたかというと疑問符も付く。リーゲルバウアーは「画期的で大きな夢が膨らむが、リヒテルの演奏とは細かい点がかけ離れていた」と指摘。今回は1曲だけの共演だったが、それでも突然のテンポの変化に対応できず、瞬発力に欠けるなどの課題もみられた。
ヤマハと東京芸大は1~2時間の演奏会に対応できるようなAIシステムの開発を目指す。「音楽史に例がない壮大な実験」(松下)は緒に就いたばかりだ。
(文化部 岩崎貴行)
[日本経済新聞夕刊2016年5月23日付]
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