「メディカルラリー」全国に 救命技術、競って磨く
切迫感、現場で生きる
熊本地震で成果
「いつもの仲間がそろっている」。4月15日、近畿大学医学部付属病院の木村貴明医師は驚いた。前日に熊本県益城町で震度7を観測する地震が起きたのを受け、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として熊本市へ。そこにはメディカルラリーで競い合った各地のチームが集結していた。
倒壊家屋から助け出された人の救護など、被災現場や搬送先の病院で必要とされた役割はラリーで設定された課題ばかり。熊本赤十字病院で市内や益城町への医師派遣を差配した木村医師は「急場に集まっても互いに何をすべきか分かっていた」と振り返る。
メディカルラリーは医師、看護師、救急隊員から成る数人のチームが救急救命の腕を競う。毒ガスによるテロ、大地震などのシナリオに沿って対応を採点し、優勝チームを決める。1990年代のチェコ発祥とされる。時に国境を越えた対応が求められる救急救命で、各国の手法を共有するのが目的だったという。
近大病院は昨年12月、木村医師の発案で初めて開催。東京都や神奈川県などから計10チームが参加し、スタッフとして近大の学生や近隣病院の医療関係者ら約250人が加わった。
「50代男性が自宅内で倒れていると家族から通報」。開始前にチームはこれだけ知らされ、所定の部屋へ。こたつの脇に患者役の男性が倒れ、なぜかこたつの中に七輪が置かれている。
倒れた原因探る
ただ七輪に火はついていない。一酸化炭素中毒ではなさそうだ。では患者は何を吸い込んだのか。周りに落ちた10円玉を口に近づけると、進行役が「ピカピカになりました」と知らせる。10円玉が呼気中の青酸カリと反応し、光沢が出たという設定だ。
ここで原因は青酸カリと判明する。この確認をせず、患者の口の臭いをかいだら即退場になる。現実の場合、青酸カリを含む呼気を吸い込んでしまうためだ。
屋外の仮設会場や教室で段ボールや暗幕を使ってトンネル崩落や交通事故の現場も再現。チームは順に巡り、流血や傷口の特殊メークを施した患者役の治療に当たる。この日は計6シナリオに取り組み、けがの程度で治療の優先順位を決めるトリアージを実施したかなど、シナリオごとに数十項目を採点した。
「テストとはいえ医療にゲーム感覚を持ち込むとは」と疑問視されることもあるという。ただ木村医師は「現場で失敗しないために訓練を積める貴重な機会」と指摘する。技術は個人で磨けても、被災地などでの安全確認やコミュニケーションの仕方を学ぶ機会は少ない。「高得点」の目標は腕を磨くモチベーションにもなるという。
日本に初めて導入したのは大阪府済生会千里病院(大阪府吹田市)の林靖之医師だ。2002年、チェコの大会に日本を代表して参加した。結果は最下位から2番目。「何をすればよいのか、全く分からなかった」。ノウハウを広めようと、半年の準備を経て同年に1回目の大会を開いた。
開催回数は昨年で14回となった。数年前から子供や医学部生が対象の会も開く。林医師は「競技での動きをビデオで撮り、復習するチームも多い」と話す。
ラリーは小さな大会も含めれば、北海道から沖縄まで全国20カ所以上で開かれるようになった。東日本大震災や広島市の大規模土砂災害、御嶽山噴火、そして熊本地震。災害や大事故がやむことはない。いざというときに備え、普段からの研さんがますます求められている。
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DMAT隊員、5年で2倍
自然災害や大規模事故で多数の死傷者が発生した際、現地に派遣される災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員数は増え続けている。全国に対応する日本DMATへの登録者は、2015年3月で1426隊9328人。5年前の2倍強となった。
DMATは都道府県や厚生労働省の要請を受け、生存率が急激に低下するとされる発生後72時間までの活動を主に担う。チームは医師1人、看護師2人、物資手配などを担当する業務調整員1人の4人体制が基本。隊員資格を得るには国立病院機構災害医療センターなどで4日間、研修を受ける必要があり、資格は5年ごとに更新する。
東日本大震災後には、被災直後から避難所などを訪問して心のケアをする「災害派遣精神医療チーム」(DPAT)も各都道府県で結成された。熊本地震にも派遣されている。
(鈴木卓郎)
[日本経済新聞朝刊2016年5月15日付]
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