ピカソ 粟津則雄著
20世紀生き抜いた画家の肖像
一九六七年だったと思うが、パリの国立グラン・パレ美術館で、かなり大がかりなピカソの展覧会を見る機会があった。それまで個別の作品に接したことは何度かあったけれど、数多くの作品をまとめて鑑賞するのは、それがはじめてだった。
今もって忘れられないのは、強烈な衝迫力に包みこまれたことである。個々の作品についていえば、大いに魅了されたものもあれば、さほどでもないものもあったが、それは二の次にすぎない。肝心なのは、多様を極めた変幻自在の画風の絵が、すべてひとつの巨大な集塊(しゅうかい)に、統合されるように思えてならなかったことである。ほかの展覧会では感じたことのない異例の衝迫力の源は、紛れもなくそこから発していた。
それ以来、ピカソというと、かならずあのときの印象を思いだす。そして、類を見ない多種多類の画業を何が結びつけているのか、その秘密を考えるのが習わしのようになった。が、素人の悲しさ、答えはいまだに見つかっていない。
そういう次第で、粟津さんの『ピカソ』を読みながら、ともすれば注意はそちらのほうへ向きがちだった。また幸いなことに、二十世紀の思想・文化の状況を、ひろい視野で再認することから書きはじめて、二(ヽ)十(ヽ)世(ヽ)紀(ヽ)の(ヽ)画(ヽ)家(ヽ)ピカソの変転ただならぬ遍歴を、丁寧にたどりつづける著者の筆は、そんな勝手な読みかたを拒もうとしない。むしろ手がかりさえ提供してくれる。
たとえば『石を投げる女』や『海辺の人びと』に、「ピカソ独特の生のリズム」が見てとれるという考察は、すこし変奏をくわえれば、ほかの多くの作品にも適用できる。創造的精神のリズムでもよいし、人間を観察したりも(ヽ)の(ヽ)を見たりする視線のリズムでもよい。人生のさまざまな瞬間に、画家の創造力を動かした内的なリズムが、作品を生み出すエネルギーの根幹をなしている事実を、粟津さんはしっかり見とどけている。大胆な、ときに奇異でさえあるデフォルメの操作も、そんなふうに解すれば素直に納得できる。二十世紀という時代は、人間であれも(ヽ)の(ヽ)であれ、容赦なく解体し歪(ゆが)めるのではないか。そういう疑惑と不安を感じた画家の、無類に鋭敏な視線のリズムが、異形のデフォルメをほどこされた作品に、たしかに現れている。
ピカソを論じた本は、日本でも既に数多く書かれている。だが、この新著ほど、二十世紀を生き抜いた画家ピカソの肖像を、着実に描きあげた試みがあるだろうか。粟津美術論の系譜に、確かな光彩がくわえられたようである。
(文芸評論家 菅野 昭正)
[日本経済新聞朝刊2016年5月8日付]
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