ムーンショット! ジョン・スカリー著
イノベーションの絶好機伝える
「ムーンショット」は、もともとは「月面着陸」を意味したが、今は、それに続くすべてをリセットしてしまう、ごく少数の大きなイノベーションを指すシリコンバレー用語。マイクロプロセッサーの発明やワールドワイドウエブ、アイフォンがムーンショットの例だ。
著者はスティーブ・ジョブズから言われた「砂糖水を売り続けるのをやめて一緒に世界を変えよう」という有名な殺し文句でペプシコーラからアップルに移り同社の一時代を築いた経営者だ。彼のメッセージは、今まさにムーンショットを放つ絶好の機会が目の前にあるというものだ。チャンスを生む背景を紹介し、ムーンショットの担い手になる条件を披露している。
クラウド・コンピューティング、ワイヤレス・センサー、ビッグデータ、モバイル機器といった4つの技術進化が生産者から顧客への主導権の移行を後押ししている。そこに、「もっといい方法」で「10億ドル規模の問題」を解決し「価格破壊」と「抜きんでた顧客の経験価値を提供する」ムーンショットの機会が潜んでいると著者は主張する。本書の対象は既存産業に大きな変化を起こすもので、特に小売り、ヘルスケア、教育などを中心に議論を展開する。
本書の魅力はやはり著者自身が関わった革新現場でのエピソードだ。著者はスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツが話し合う場に何度も同席している。場面の描写からは時代を代表する経営者が社会や企業のあり方について議論する姿が伝わってくる。誰もが使いたくなるソフトウエアの開発を目指すゲイツ、技術に疎い人でも使いこなせる道具としてのコンピューターを開発したいジョブズ。パーソナルコンピューター開発の生々しい現場の雰囲気を感じ取りたい人には読み応え十分だ。
著者はジョブズから革新を生み出す方法の手ほどきを受けている。「ズーミング」と呼ばれるものでアイデアの発想法に関心がある読者にはここが読みどころだろう。高みから俯瞰(ズームアウト)し、点をつなぎ、その後、細部に集中(ズームイン)して簡素化する。ズームアウトよりもズームインの方が難しそうだ。
本書には米国の先進企業だけでなく日本企業も登場する。ソニーがズーミングを活用すべき企業として取り上げられているのは残念だが、米国でムーンショットを繰り広げている革新事例としてユニクロが紹介されている。そこに希望が見いだせる点も本書の魅力となっている。
(神戸大学教授 小川 進)
[日本経済新聞朝刊2016年4月24日付]
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