2人連れ専用の温泉宿 客を絞り斜陽の旅館を再生
女子力起業(9)
編集委員 石鍋仁美
1泊2食8000円だった温泉宿を2005年に改装。料金は1人2万円台になり、稼働率も大幅に向上した。キーワードは「おふたりさま限定の宿」。ニーズはあるのか。いかがわしく思われないか……。親族の心配や反対をよそに、女将(おかみ)は自らの思いを貫く。今では遠方からもリピーターが訪れる宿になった。

「『なぜ4人じゃダメなの?』『この時代に10人で行くと言っているのに』。おしかりを受けることもしばしばですが、メゲません……」。自分の名刺にも、そうはっきり印刷した。山形県米沢市の湯の沢温泉で「時の宿すみれ」を経営する黄木コーポレーションの代表取締役で、宿の女将(おかみ)、黄木(おおき)綾子さんの意志は固い。
施設とサービス、すべてを「おふたりさま仕様」に
親子、夫婦、恋人、友人。「大切な人と、特別な時間を過ごしてほしい」と願う。そのための工夫は徹底している。
まず1階のロビー。壁一面のガラス戸の向こうに、今の季節だと庭の雪景色が広がる。その風景を楽しめるよう、1人用のソファを2つ1組で置く。それぞれの組は少し離して並べている。
和室、洋室、和洋室が計10室。もちろんすべて2人部屋だ。各部屋の定員だけでなく、部屋数も改装前より2つ減らした。部屋にテレビはない。窓から周囲の自然を堪能しつつ、ゆったりした気分で会話を楽しんでもらう趣向だ。
食事はレストランでとる。2人用の半個室が6区画とカウンターのイスが2人ずつ4組。元は団体も入る大広間だったというが、その雰囲気はすでに全くない。提供するのは米沢牛を使った懐石料理だそうだ。一品一品、丁寧に説明する。
2人連れのみで年齢も中学生以上に限定した結果、提供すべきサービスが絞られ、質も向上したという。子供向けの料理や接客の用意が不要になった。団体客が入ると決まればアルバイトを確保して、といった準備も要らない。
ある一定の客層に向け、特化して腕を磨く。顔や名前も覚えることができ、愛着を持って繰り返し訪れてくれる人も増えた。今は利用者の4割がリピーターだ。

以前の姿は違った。1980年、米沢市内で商売を営んでいた黄木さんの祖父母が開いた温泉宿の名前は「健康の宿 すみれ荘」。団体客、家族客、ビジネス客。宿泊せず湯だけに立ち寄る客。昼食だけの客もいれば、夜の宴会に集まる客もいる。
レストランでは山菜そばやラーメンなども置いていた。日帰り入浴料は400円。庭も有料で家族連れのピクニックなどに開放していた。
地元などの人たちに、いろいろな目的で広く使われる施設だった。しかし時代の流れとともに、経営は傾いていく。有料のはずの庭に料金を払わず入る人がいたり、日帰り入浴料だけで1日のんびりする人もいたり。改装直前は、そんな状況だったそうだ。

小さいころから旅館の仕事を手伝う機会は多かった。「いずれ自分が継ぐのでは」。そんな意識は昔からあったという。
高校卒業後、上京し観光の専門学校に進学。20歳で卒業、帰郷し宿で働いたが、再び上京し東京の不動産会社に勤める。活気ある職場、友人と過ごす週末。ビジネスや遊びを体験した。
その後、恋愛、結婚、米国生活、2人の子の出産、帰国、離婚を経て、東京でのシングルマザー生活へ。仕事と子育てに忙しい中、父親が病気で「余命半年」との連絡が来る。看病のため子供と一緒に帰郷した。
父親の死後しばらくして、老朽化した旅館をどうするか、話し合いが始まった。補修だけでもかなりの費用がかかる。いっそ閉めよう、あるいは宿泊をやめ風呂だけの施設に。そんな案もあった。
大切な人とのかけがえのない時間を演出
黄木さんは思う。せっかく祖父母が開き、叔母が続けてきた宿を、途絶えさせてしまっていいのか。「金銭ではなく気持ちの問題でした」。自分が後を引き受けることにしたものの、不安は大きい。うまくやっていけるか。「腹をくくるというのは、こういうことか」と分かったそうだ。
では、どんな宿にするか。囲炉裏のある純和風の宿はどうか、といった声も出た。
アドバイザーを務めた外部の人が「中心になる綾子さんが作りたい宿を作ろう」と言ってくれた。それなら、と構想を練る。大切な人にきてもらう。ゆっくり過ごしてもらう。また来たいと思ってもらう。そんな宿ができたらうれしい……。そうした中で「おふたりさま専用」という発想が生まれた。
改装前の旅館では、夜も騒ぎたい人、ゆっくりしたい人、風呂に入って寝たい人と、地元などの千差万別のニーズに応えていた。静かに自然と向き合いたい人には、宴会の音や子供の声が気になったかもしれない。申し訳ないな、と感じていた。
新しい宿は、大切な人と、じっくり語り合い、ゆっくりした時間を過ごす空間にしたい。「2人の特別な時間」のための部屋や食事に絞り込もう。首都圏など広範囲から来てもらえるかもしれない。わくわくした。

2人連れ専用の宿にしたい。張り切って親族などを前にプレゼンテーションした。「わあすごい」。そんな反応を予想していたが、うーんと沈黙。「みんなひいちゃって」。疑問が出る。定員を最大20人に減らすのはもったいない。そして「2人なんていかがわしい」。感覚の違いにがっかりした。
夫婦、恋人、友人、親子。誰にとっても大切な人がある。それが、なぜ「いかがわしい」んだろう。感覚のずれを説得するのは難しい。ホームページなどの表現を工夫すれば、受け取る人もいかがわしいとは思わない。そう説得した。

2005年に改装し、再開業したとたん、多くの人に歓迎された。こうした旅館を大人の客は待っていたのだ。稼働率は当初ほぼ10割近くが続き、やがて85%を保つ。採算ラインを大きく上回る成功だった。
そんな中で、2011年3月11日の東日本大震災が起こった。東京と米沢を結ぶ新幹線が止まった。仙台から調達していた燃料も入らず、被災者の受け入れもできない。余震に原発事故と、電話もメールもキャンセルの連絡ばかり。「どんどんお客様が遠のいていく」。そんな気持ちで、米沢に避難してきた人たちへの炊き出しのボランティアに従業員と出かけた。
震災から2週間たったころ、新規の予約が入った。「えっ」と驚いた。宮城県の人だった。この春、知人がある人生の節目を迎える。今ふだんの生活もままならない状況だが、ぜひお祝いに泊まりにいきたい。「予定日までに再開していることを信じて、予約を入れます」。そうあった。
「ありのまま」の姿勢に引かれるリピーター
「自分たちは求められている」。目が覚めた気がした。ゆっくりくつろぐ時間を必要としている人もいるんだ。前向きな気持ちになり、3月末に営業再開。その後も予約と燃料の状況などで休業と営業を繰り返した。山形新幹線の運行が再開し、鉄橋を走る列車を見て「頑張れ」という気持ちになった。
5月の連休はリピーターで埋まった。「どうだった?」「大丈夫?」と声をかけてくれる。「私たちが、リピーターの方々に救われたんです」
このころを機に姿勢が変わった。以前は言葉遣いも「何々でございます」。ホームページにも料理や部屋の情報は少なかった。来てみて初めて分かる、という謎めいた演出だ。そこに、気取りがないとは言えなかった。
いまは違う。どんどん情報を出す。利用者の感想を直筆で載せる。自らふだんの言葉でブログも書き、ありのままを見せる。「うちに一流や高級という言葉は似合わない。リラックスできる宿にしたい」。

稼働率も7割弱まで回復した。客に手紙を出し、客からも手紙が来る。「今年は行けなくて残念」という内容に、まるで親せきみたいだ、とうれしくなる。ロビーのカウンターに立ち、湯上がりの客にコーヒーを振る舞う。客との距離が震災以降縮まったみたいだと感じている。
外部の人には「庭の一部をつぶし、もっと部屋数を増やしたら」と助言を受ける。しかし、その気はない。「これ以上の規模になると、できることが限られてしまう」。皆が特別な時間を過ごし、満足して帰ってほしい。そう願うからだ。
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