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なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信

 

2011/12/13

 「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのか。こうした疑問の解明に挑む最新日本語研究を紹介します。

 明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはず

 「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのか。こうした疑問の解明に挑む最新日本語研究を紹介します。

 明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、日本語の誤用を扱った書籍などでは「全然+肯定」を定番の間違いとして取り上げています。国語辞典で「後に打ち消しや否定的表現を伴って」などと説明されていることが影響しているのか、必ず否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。

■「否定を伴う」 広まったのは昭和20年代後半

 10月22~23日に高知大学で開催された日本語学会(鈴木泰会長)の秋季大会。国立国語研究所の新野直哉・准教授をリーダーとする研究班(橋本行洋・花園大教授、梅林博人・相模女子大教授、島田泰子・二松学舎大教授)が、「言語の規範意識と使用実態―副詞“全然”の『迷信』をめぐって」をテーマに発表を行いました。

  • 日本語学会で研究発表する新野直哉氏(高知大学)
 研究班では、「最近“全然”が正しく使われていない」といった趣旨の記事が昭和28~29年(1953~54年)にかけて学術誌「言語生活」(筑摩書房)に集中的に見られることから、「本来否定を伴う」という規範意識が昭和20年代後半に急速に広がったのではないかと考えています。しかし、発生・浸透の経緯については先行文献では解明されていないため、先行研究が注目しなかった戦後を目前に控えた昭和10年代(35~44年)の資料に当たり「全然」の使用実態を調べることで、規範意識が当時からあったのか考察することにしました。

■昭和10年代、6割が肯定表現

昭和10年代の専門3誌における「全然」の使用例

コトバ工程・綴方学校日本語
否定を伴う例形容詞「ない」311023
助動詞「ない」「ず(ん)」862649
動詞「なくなる」「なくす」403
232
肯定を伴う例否定の意の接頭語として使われる漢字を含む語36312
2つ以上の事物の差異を表す語762236
否定的な意味の語361013
マイナスの価値評価を表す語1294
否定的意味・マイナス評価でない語551317
354
判断が難しい例4

 まず、日本語に関する学術的な文章が多く掲載されている国語学・国語教育・日本語教育の専門誌である「コトバ」(不老閣書房など)、「工程」(後に「綴方学校」と改名、椎の木社=復刻版)、「日本語」(日本語教育振興会=復刻版)の3誌を資料として選び、日本語に関して知識の深い当時の研究者らが書いた論文・記事中で、「全然」がどのように使用されているか実態を調査しました。

 採集した「全然」の用例を分類したところ、全590例のうち6割の354例が肯定表現を伴い、そのうち約4分の1に当たる85例が否定的意味やマイナス評価を含まない使い方となっていました。その中には「前者は無限の個別性から成り、後者は全然普遍性から成る」(日本語、金田一京助)といった著名な国語学・言語学者のものも含まれています。「本来否定を伴う」という言語規範が当時あったとすれば、これらは当然「ことばの乱れ」や「誤用」とされるべきものですが、多くの研究者が学術誌で規範に反するような表現を使うとはまず考えられません。

 また、昭和10年代も後半になると、植民地への日本語普及という当時の国家的重要課題を念頭に置いた「標準語」「正しい日本語」をめぐる議論が盛んに行われるようになりましたが、3誌には「全然」の規範意識に関して言及したものはなかったばかりか、「全然+肯定」の使用が散見されました。

 ほかに「古川ロッパ昭和日記(戦前篇・戦中篇)」(晶文社)の昭和10年代の分を対象に個人における「全然」の使用実態を調査した結果をあわせて、研究班は「本来否定を伴う」という規範意識は昭和10年代の段階ではまだ発生しておらず、使用実態も昭和20年代後半以降に広がる「迷信」を生み出すようなものではなかったと結論づけました。今後の課題は迷信が戦後のいつ、どのように発生し、浸透していったのかを解明することだとしています。

■辞書の記述に変化も

 研究発表を聴いて、ある新聞に載った読者欄の投稿を思い出しました。子供向けテレビ番組で使っていた「全然大丈夫」というフレーズが、誤用であり日本語の乱れだと断言した内容でした。専門家の研究が着実に進みつつあるものの、こうした投稿が新聞に大きく掲載される現実は“迷信”がまだまだ一般に根強く浸透していることをうかがわせます。

 一方、辞書の世界では新しい変化も出てきています。三省堂の大辞林第3版(2006年)では、諸研究を反映したのか旧版にはなかった「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に下に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」という記述が追加されています。

 今後、研究班の調査・研究が進み、迷信が解明されることになれば、辞書の記述も近い将来さらに書き換えられ、一般に認知されることになるかもしれません。その成果に期待しつつ、これからもこの研究に注目していきたいと思っています。

(佐々木智巳)

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