健康・医療

患者は働く

9・11後転職 病院現場に戸惑い 関節リウマチ(3) 斎藤昌子さん(47)

2011/1/16

 2001年9月11日の米同時多発テロ後、米国経済の悪化による業績不振から勤務先の研究部門が縮小、閉鎖され、転職を考えました。当時はリウマチ患者の平均寿命は60歳とも言われ、今思えば自分の甘さが恥ずかしいのですが、「体が動くなら、最期を過ごしたいと思えるような医療機関の仕事を」と思ったのです。終末期医療への関心もありました。悩んだ末、面接では関節リウマチや子育てのマイナス部分も伝え、02年春、地域の中核病院である私立病院の院長室勤務が決まりました。

職場へは車で通勤(茨城県土浦市)

 真っ先に大学病院の膠原(こうげん)病リウマチ・アレルギー内科教授の元主治医に報告しました。「勤務先は大学から近いし、大学リウマチ科の先生も外来を手伝っているし、安心ですね。いいんじゃないですか」。この一言に背中を押され、決心しました。


 私は、繰り返すリウマチ再燃に仕事への焦りを抱え、それでも「仕事を続けたい」という気持ちを主治医にぶつけてきました。「将来どんな良い薬が開発されようと、私は待てない。今の痛みをとってほしい」――。時に不快感もあらわに、ささくれた気持ちをぶつけたこともありましたが、主治医は冷静に受け止め、発症時から根気よく向き合ってくださいました。

 祈とうや民間療法に積極的に取り組んだ時も、頭からそれらを否定するのではなく、内科学の目覚ましい進歩を、長い時間をかけて素人の患者に教えてくださったのでした。

 その一つの結果が、治験(臨床試験)への参加でした。FK506(プログラフ)という経口免疫抑制剤を02年から3年間服用しましたが、それはちょうど病院勤務の時期に重なっています。

2007年から非常勤講師を務めている専門学校の講義で使う教科書など

 企業は利益追求が目的で、合理化・効率化最優先でした。でも、医療の世界は、人の生命にかかわる厳しさに満ち、使命感が最優先、公共性が強調されます。上司の院長の言葉を借りれば私は、完璧な「よそ者」で、「ケトウ(外国)かぶれした」「(カウボーイらのかぶるテンガロンハットをもじった)テンガロン」でした。

 医療専門用語もわからぬまま、外来診療前の早朝医局会や院長自ら行う外来診療、病棟回診、夕方からの幹部会などに同席しました。院長の行くところはトイレまでついてゆけと言われながら、要領を得ずに場違いな所にいると「邪魔だ」と怒鳴られたものです。

 今から思えば、何の医療知識もなく、病院事務管理経験もない私を短期間で鍛えようとの院長なりの叱咤(しった)激励だったと感謝していますが、当時は面くらうばかり。肩肘張って取り組むほどに空回りし、自分の役割を見いだすことを学ぶ余裕もありませんでした。勤務時間と休みが極めて不規則になり、急な出張も増え、やむなく子供同伴で疲労困ぱいして後悔したことも。

 その後は父母ともに出張という時は、子供を地域の子育てサポーターのお宅に泊めさせてもらい、保育園の送迎やお弁当の用意もお願いするようにしました。サポーター業務の規約を逸脱する部分は個別に文書で取り決めました。まさに毎日が綱渡りのようでした。

 そんな日常でも、私自身はこの間一度も入院せず、変則的業務を何とかこなせました。前述した治験薬が効いていたことと医療者に囲まれて仕事ができた安心感が大きかったように思います。

患者は働くでは、読者の皆様のコメントを募集しています。
コメントはこちらの投稿フォームから

斎藤昌子(さいとう・まさこ) 1963年京都生まれ。85年国際科学技術博覧会を機につくばへ。自動車研究所勤務を経て、91年テキサス・インスツルメンツ筑波研究開発センター入社。95年関節リウマチ発症。2002年から地域の中核病院の院長室勤務。地域医療連携室等を経て、現在は専門学校の診療情報分野で非常勤講師

◇            ◇

 「患者は働く」は、病気やその後遺症と折り合いをつけながら働き続ける姿を紹介するコラムです。本人にとっての働く意味やその上での工夫、周囲の配慮などについて、直腸がん、糖尿病、子宮頸(けい)がん、悪性リンパ腫、リウマチの5人の筆者が毎週リレー形式でつづります。

健康・医療